2015年02月23日 20:30

『スウェーデンの持続可能なまちづくり』

先般、アルプス子ども会代表である綾崎幸生氏のお話を聴く機会を得て、思い浮かんだことを書き連ねています。



お話の中で、子ども会は上意下達というスタイルをとらない、子どもたちを番号で呼ぶことになるゼッケンは使わない、笛も(生命に危険が及びような非常事態以外は)使わない、と言うようなことをおっしゃっていました。

僕は、子供たちに向かって強く厳しい口調で指示や指導をしたり笛で指示することはその年長者の指導能力の不足を露呈していることだ、と前から強く思っていましたので、アルプス子ども会の方針を聞いて当たり前のことを当たり前にやっていらっしゃるな、と思いました。

子どもたちが高圧的な指導者や高圧的な仲間に従順になることで、集団生活における規律を守る癖がつくように錯覚している大人がいますが、利己的で責任回避思考ばかりが発達した駄目な大人や自己肯定感の低い大人になるためのトレーニングをしているに過ぎません。

また、高圧的な指導者や高圧的な仲間がいる中で子どもたち同士が民主的な話し合いなどできるわけはなく、できているように見えたとしてもそれは所詮身を守るための演技ですから百害あって一利なしです。

子どもたちを一人の人として扱わずに物のように扱い無理矢理言うことをきかせるやり方では、他者を思いやる気持ちを持った利他的な大人に育てることなどとてもできません。



かと思えば、


・穏やかな指導をするが熱意がない先生
・子供たちをつい叩いてしまったりするが熱意に溢れる指導をする先生

これら二つのタイプのどちからかを選ぶとすらならば、後者の方が良い、というお母さんが僕の身近にいらっしゃいました。

お母さんがこの発言をされる前に僕らがしていた会話は、子供たちが通う学校に熱意の無い教師たちがいて困っている、というお話だったので、このお母さんの気持ちはよく分かりました。
ですから僕はただただうなづいてお話を聞いたのです。

もちろん、熱意があろうとなかろうと、言うことを聞かせようと高圧的に、ましてや暴力を用いて指導や指示することがダメであることは、そのお母さんはよくわかっていらっしゃいました。

しかし、教師が周りの顔色ばかり伺い、保身ばかり考えて子供たちを指導しようとするならば、その悪しき姿は子供たちにとって良くない影響を与えてしまうのではないか、
お母さんはそういうことを怖れているように感じました。





さて、ここで一冊の本を紹介します。

この本はタイトルが示す通りスウェーデンにおける持続可能な社会づくりに関することが書かれています。

第7章で子供たちの教育と持続可能な社会との関係性について触れられているのですが、その冒頭にはこんな良い一文が書かれていました。
その一部を抜粋しますね。



『学びについて

よく言われることだが、私たちの未来を担うのは子どもである。未来を現在とは違ったものにしたいと思うなら、子どもたちに早くから理想の未来を考えさせ、それを実現させるようにしなければならない。これは、私たち大人が作り出してしまった問題を子供たちに解決させるということでなく、早くから今までとは違う物事のやり方や世界の見方を教えるということだ。』



いかがですか。

これは、現代日本における子供たちの教育において、著しく欠けている視点だと思いませんか。

大人のその場その場の利己的な都合で、子どもの成長への悪影響を考えず、子どもに無用な緊張感を強いて思うままに支配しようとしたり、理想の未来を考える機会を与えずに、とにかく今の世の中で無難に生きる処世術だけを教え込もうとする大人が多いのではないでしょうか。

または、人間性を高めることにフォーカスしない競争意識を煽るだけの(不安にさせることで金を得ようとする輩が仕掛ける)質の低い情報を鵜呑みにして、子どもたちをその時代錯誤な型に無理にはめようとする大人が多いのではないでしょうか。

そういう妙な空気の中で「今までとは違う物事のやり方や世界の見方」を子供たちがしやすい環境を作ろうとするのは容易いことではありません。

世間の不穏な同調圧力に屈することなく自ら考えて行動する力を育む手立てのひとつは、子どもたちが元々持っている良い資質をより強いものにするため子どもたち同士で遊び、喧嘩し、あらゆるコミニュケーションを試して切磋琢磨することができる場所と機会を大人が作ることなのです。

かねてよりぼんやりと考えていた上記の考え方は、僕が綾崎さんのお話を聴く機会となった、おいでん・さんそんセンター主催の『いなかとまちのくるま座ミーティング』で確信に変わりました。

くるま座ミーティングの午後に行なわれた次世代育成グループのディスカッションでも参加者の皆さんもそういう考え方の持ち主でした。

そしてディスカッションの前後に聴いたアルプス子ども会の綾崎さんのお話は、アルプス子ども会は民間企業でありながら「 今までとは違う物事のやり方や世界の見方」を子どもたちができるような環境づくりを長年されてきたこと、そしてリピート率や保護者からの反応などの実績からアルプス子ども会のやり方が間違っていないことがとてもよくわかるものでした。



To be continued.

































  


Posted by hyakuyobako

2015年02月22日 00:22

『日本が世界一「貧しい国」である件について』

アルプス子ども会に関することを書き連ねていますが、前回の記事に続き今回の記事も、本の紹介を兼ねたものにいたします。




この本は痛快でたいへん面白いです。
Amazonカスタマーレビューの評価は低いのですが、低い点数をつけている人のコメントを読むと著者がなぜこんな本を書いたのかという動機が見えてきます。^_^


さて、月初に小原交流館にて開催されたいなかとまちのくるま座ミーティングにおいて、アルプス子ども会代表の綾崎氏も日本人(大人と子ども)の問題点について指摘されていました。
その一部を下記に記します。


・社会的弱者への意識に問題があること
・対人関係において共感力が低下していること
・言葉を用いる力とコミニュケーション力が著しく低下していること
・多様な生き方を認めあえていないこと
・科学的な物の見方、多面的な物の見方ができていないこと
・同調圧力をかけて互いに苦しめあっていること
・自己肯定感が低いこと
・責任回避思考が強いこと
・支配欲・自己顕示欲を愛情だと勘違いしていること


いかがですか?
いや、そんなことはない、とあなたは思いますか?

僕は思い当たることばかりですけど。

この本で著者が訴えたいことと、綾崎さんがおっしゃったことは概ね一致するのでは、と思いました。
日本人はいつのまにか先進諸外国と比べて人間性の面では周回遅れに陥っている、と言うことです。

ちなみにアルプス子ども会は全国都道府県の子供たちのみならず、海外で暮らす日本人の一時帰国時に子どもたちを預かることが多いそうでその国の数は30ヶ国に及ぶそうです。
アルプス子ども会のスタッフにインターナショナルな感性を理解する力や国際的に通用する常識が備わっていなければそうした顧客などつかないわけですから、アルプス子ども会が常にワールドワイドに情報のアンテナを張っている組織であることが想像できます。


そういえば最近、日本人は世界から尊敬されている、という演出がなされたテレビ番組が何だか増えましたが、恥ずかしくてまともに見て入られない番組が多いです。
例えば、取り上げられる職人さんや企業人の方々が素晴らしい仕事をしているのは事実だとしても、ナレーションや芸能人のコメントが自画自賛し過ぎていて気持ち悪いのです。
やたらと自虐的、自己批判的になることはありませんが、井の中の蛙的、内弁慶の自己陶酔だけは最悪です。





To be continued.




















  


Posted by hyakuyobako

2015年02月20日 17:07

『森の力』、『森林療法のてびき 地域でつくる実践マニュアル』

アルプス子ども会に関することを書き連ねていますが、前回の記事に続き今回の記事も、本の紹介を兼ねたものにいたします。





2009年にデンマーク、スウェーデン、フィンランドを旅行した際に、それらの国の森と人々の結びつき方、関わり方がたいへん面白いと感じました。
森に関心を持った僕が帰国してすぐにAmazonにて買い求めて読んだのが浜田久美子さんの『森の力』と上原巌さんの『森林療法のてびき 地域でつくる実践マニュアル』という本でしたが、その当時はまだ今の仕事はしておらず、山里センチメンツなどのプライヴェート活動も始めていなかったので、どちらもさささ、と一回読んだきりで、長らく本棚の奥に眠っていた次第。

先日、あっ、こんな本を持っていたんだ、と気づき、ミーティングの前に読んでおけば良かったな、と思いました。
なぜならば、どちらもまずたいへん良い本であり、そして何よりも森林が7割という自然豊かなわがまちが、次世代育成において(そして自然を活用した健康療法において)これから向かうべきより良き方向を指し示してくれているからです。

(ミーティング、と言うのは先般豊田市小原交流館にておいでん・さんそんセンターが主催したくるま座ミーティングのこと。
午前に基調講演を拝聴したのち次世代育成をテーマとしたグループミーティングに参加しました。
話題提供者としてアルプス子ども会の代表 綾崎幸生氏が参加されましたが、他にも野外保育とよた森のようちえん 「森のたまご」、とよたプレーパークの会に携わっていらっしゃる方々が参加されミーティングをコーディネートされていたのです。)




ひとつ前の記事にて触れた高橋和巳氏の本には、『何かを知ることは、「それ」から「離れる」ことである。』と書いてありました。
森と携わることは、森以外の場所で暮らす自分の真の姿に気づく機会を得ることになるかもしれません。
親から離れることで親を知り、親に守られていた自分を知るのです。
知らない土地で知らない子どもたちと過ごすことで、普段自分が通っている馴染みある学校生活を客観視できるのです。

アルプス子ども会は、宿泊日数が長いことでも知られているそうです。
例えば、小学校低学年の幼いお子様が10日も親元を離れて、育った環境が異なる多様な価値観を持つ子どもたちに囲まれて自然溢れるアルプスで過ごす日々を想像して下さい。
2泊3日で得られることももちろん沢山ありますが『特別な日』が長ければ長いほど、その恩恵と、得られた恩恵からのフィードバックは比例して多くなるに違いありません。




To be continued.























  


Posted by hyakuyobako

2015年02月20日 02:55

「消えたい 虐待された人の生き方から知る心の幸せ」



これは、繰り返し読んでいる本。

僕らが想像できない世界を生きてきた人たちについて、書かれた本です。
タイトルを見てピンときた方はぜひ手にとってください。

著者は、高橋和巳氏。
『子は親を救うために「心の病」になる』
という素晴らしい本を書かれた精神科の医師です。




さて、数日前からアルプス子ども会についての記事を書いているのですが、まだアップできる状態にありません。

まずはアルプス子ども会のホームページにあるお便りコーナーを隅から隅まで、全てにじっくり目を通したのですが、エネルギーを消耗してぐったりしてしまいました。
残留思念のようなものがそこにあるかのごとく、でした。
丁寧に読めば読むほど、子を思う親の思いと、子と親を思うアルプス子ども会側の思いの数々が縁もゆかりもない僕の心をグサグサと貫きました。
子も親も、生きにくい現代社会で混迷して苦しんでいる(自覚しているかどうかは別にして)ことが、あらためてよくわかりました。
同時に、アルプス子ども会の存在を運良く知ることができ、子どもが子ども会に参加するに至ったファミリーはとても幸せなのでは、と思いました。




今月初めに豊田市小原交流館にておいでん・さんそんセンターが主催したくるま座ミーティングにて、次世代育成「子どもとともに地域をつくる」というテーマのグループミーティングに参加することにしたのは、仕事柄、ほぼ毎日たくさんの子どもたちに接するからという理由だけではありませんでした。

2013年の【モラル・ハラスメント被害をなくすための講演会、学習会】、2014年の【いじめとハラスメントをなくすことについて一緒に学び考えるつどい】というプライヴェートで取り組んだ(どちらかと言えば大人社会でのそれに力点を置いた)ふたつのプロジェクトを通じて、不健全な生育歴=被虐待児であったという悲しい過去を持つ加害者の存在と、被虐待児であっても加害者にならない人たちの存在の両方を知ることに至りました。
前者については世代を超えて連鎖することが知られており、その連鎖を断ち切ることは専門家にしかできない領域だと思われるのですが、欧米に比べて日本は専門家以外の一般人のそうした方面の知識があまりにも無さ過ぎるという危機的状況にあります。
家庭、教育機関、医療機関、そして行政はもちろんのこと、コミュニティにおいても予防的な面で何かできることがないだろうか、と考えていたのが昨年の末頃でした。
そんな中、今年になって、くるま座ミーティングのテーマのひとつに次世代育成というテーマがありアルプス子ども会の代表の方がいらっしゃることを知ったとき、こんな機会はなかなか無いので迷わずエントリーすべきだ、と思ったのです。


アルプス子ども会代表の綾崎幸生さんのお話は僕の腑に落ちるものばかりでした。
(詳しくは次回の記事で触れますね。)
親から虐待を受けている子どもがアルプス子ども会に参加できる可能性はそうでない子どもと比べたらたいへん小さいと思いますが、アルプス子ども会がやっていらっしゃることの中には、虐待抑止・予防をも含めたコミュニティでの子育てに応用できるものが何かあるのではないかと思いミーティングに参加したのです。

僕の不確かな予感は確信に変わりました。



国連子どもの権利条約を念頭に置かれ、一人の例外もなく支え守り合う関係を築くべく指導していらっしゃるアルプス子ども会。

ドラッカーは著書に
『人を組織に引きつけるものは高い基準である。高い基準だけが誇りをもたらす。』と書きました。
また、
『ミッションはシンプルかつ明確にしなければならない。』
とも。

アルプス子ども会が掲げるシンプルかつ高い基準のミッションを、現実の世界では到底叶わない夢物語に過ぎない、と鼻で笑う輩がいるかもしれませんが、親からおたよりとして寄せられた子どもたちの成長エピソードと、リピート率が5割以上であるという揺るぎない事実がその素晴らしい成果を示しています。

さらにドラッカーは、成功している組織が陥りやすいのは自己陶酔による崩壊であるというようなことを書いていましたが、アルプス子ども会についてはそんな心配は微塵もないと感じました。
何でわかるんだ?と誰かに言われたら、代表の綾崎氏の話を聞き、ホームページのおたよりコーナーを読めばわかるよ、と答えようと思います。




To be continued.



































  


Posted by hyakuyobako

2015年02月11日 18:52

アルプス子ども会について書く前に







前々回の記事より、2/6(金)に豊田市の小原交流館で開催された『いなかとまちのくるま座ミーティング』のことを書いています。

午前中に民俗研究家の結城登美雄氏による「都市と農山村が支え合う社会」と題された基調講演を拝聴したのち、参加者は下記の3つのテーマ毎に別々の会場に集まってミーティングを行いました。

テーマ1 は、移住・定住「受け入れる作法」

テーマ2 は、次世代育成「子どもとともに地域をつくる

テーマ3 は、スモールビジネス「地域で暮らしの糧を得る」



これらのうち僕が参加したのは二番目の 次世代育成「子どもとともに地域をつくる」 というテーマのミーティングで、今回の記事にはその詳細と、話題提供者であったアルプス子ども会代表の綾崎幸生さんからのお話について書くつもりでした。

が、しかし



メモを走らせたノートとレジュメを見ながらサラサラと記事を書いている最中に、綾崎さんからの話に出た自閉症ワッペンについて記すところで、手が止まりました。


「ん?待てよ、いくらかいつまんで記事にするとはいえ、こんなにサラサラ、スラスラと書いていいのか?要約して羅列しただけでブログに書く意味があるのか?」

と思い、ミーティングに参加する前に拝見していたアルプス子ども会のホームページをもう一度ちゃんと隅々まで読み直し、綾崎さんがアルプス子ども会でやろうとしていることについてもっと深く受け止めることにしました。
(いま特にしっかり読んでいるのは、おたより紹介=アルプス子ども会参加者の声と、綾崎さんによる子育てコラムです。)

また、綾崎さんがミーティング前に提起して下さった数々の事柄(前述した自閉症ワッペン等)について、自身の知識不足を補う必要があるもの、曖昧な理解しかできていない部分があるものについては一度ちゃんと調べることにしました。
さらに(同じグループとなった方々には諸々のエピソードを話しましたが)僕が小学生のときに愛知県で開催されたへき地教育研究大会のために事前の数年間受けたかなり特殊な教育トレーニングと、アルプス子ども会の比較についても熟考したくなりました。
また、アルプス子ども会がしていることは、僕らが山里センチメンツと並行して取り組んでいるモラル・ハラスメント問題、虐待問題についてどう抑止しようかと考える上で、別の視点から見ることの大切さを含めて大変多くの気づきを与えてくださることがわかりました。
綾崎さんの口から何度も出た提言は、子どもたちがさらなる成長をするためのみならず、巷に蔓延するあらゆるいじめ、あらゆるハラスメント、あらゆる虐待の加害者と被害者を生み出さないために、大人も自らが考え、実践する上で必要なことばかりでした。

(ここにほんの一部を記しましょう。
・不都合な力に立ち向かう力の重要性
・同調圧力に負けず、空気は読みつつ別のことができる行動力の重要性
・利他的に動ける力の重要性
・責任回避思考から脱却することの重要性
・リテラシーの重要性
・支配欲、自己顕示欲を抑えた対等な関係づくりの重要性)



そんなこんなで、ミーティングのことを記事にするのにもう少しだけお時間をいただきたいです。
どうかご理解をお願いします。

記事が完成するまでの間、ミーティング中に綾崎さんから出された次の問いの答えを考えておいてくださいね。



『少数意見はなぜ尊重せねばならないのか?』

あなたは何と答えますか?






























  


Posted by hyakuyobako