2014年07月12日 09:00

京都 虎屋菓寮

カテゴリ:いただきます




ひとつ前の記事の、つづき。

京都滞在中に寄ったお店のひとつが、虎屋菓寮さん。
御所に参拝したあとの帰り道、あまりに暑くて、地下鉄に乗る前にふらふら~っと。
冷やし白玉ぜんざいとお抹茶をいただきました。
ご本社は赤坂ですが、元々は京都から始まったお店なのだそうですね。




滞在中、食べてばかりいたわけではありません。
蒸し暑い京都市内をぶらぶら、歩きました。
京都御所建仁寺妙心寺を巡りました。
今回はマイカーではなく、バスに地下鉄、JR、私鉄を使って市内を回り、人々の日々の暮らしが感じられる場所もテクテクとよく歩きました。
(以下の写真は建仁寺。)













奥さんのリクエストで雑貨屋さんにも。
ガイドブックを頼りに歩いたのになかなか見つけられなかったのは、Kit さん。
奥さんは大満足で、もしもわが家の近所にあったら大変なことになりかねないお店。





さて、久々の京都にて、以前はあまり良くわからなかったけれど、今回ヒシヒシと感じたことが沢山ありました。

京都には素晴らしいたたずまいの、品揃えのお店がたくさんあるということに、今さらながら気づきました。
美的な感覚が力みなく研ぎ澄まされている、と言えば良いのでしょうか。

そしてやはり京都の人たちが、日本人のこころの凛とした部分を支えてくれているのだな、と思いました。
公共の場において、若い人たちが他人を気遣う何気ない所作の洗練した具合にとても感心したのですが、親からの、周りからの教育が、違う、と感じました。

他人を思う気持ち。
想像する気持ち。

僕が京都の人々と触れあって感じたのは、たぶんそういうことの凄さだと思います。





















  

Posted by hyakuyobako

2014年07月11日 00:54

京都 志る幸

カテゴリ:いただきます



先日、京都を訪れました。




お昼御飯は、志る幸さんにて。

澄んだお味のお汁は素晴らしく、とても幸せな気分になれました。

ちなみに僕が選んだ季節の具は、じゅんさいです。
東北で数年前にいただいて以来、じゅんさいには目がありません。














初夏の京都ではありましたが、想像を越えた蒸し暑さに、絶句しました。






  


Posted by hyakuyobako

2014年07月04日 02:25

2009-2014

カテゴリ:日々のくらし



2009年はプライヴェートにおけるターニングポイントとなった年でした。
東京から引き揚げて地元に戻った年で、仕事も変えました。
同時に二度目の結婚をし、そんなこんなで僕の価値観、人生観はこれまでとは大きく変化しました。










そんな年の秋に訪れたのが、かねてより行きたかった、フィンランド、スウェーデン、デンマーク。
その中でも特にフィンランドはお気に入りの国となりました。
上の写真は、帰国後に買い求めた本。
書店で見つけて、迷わず買い求めました。
フィンランド航空の日本語版機内誌 『キートス(KIITOS)』 に掲載されていた記事を再構成の上、まとめたものだそう。
手元に置く価値のある、とても美しい本です。
この北欧旅行で得たヒントによって、僕はNordic Walking Movement というプロジェクトを立ち上げました。
(北欧諸国については、記事をあらためてまた書きたいと思います。)




2011年は、心が激しく揺さぶられた年でした。
地震について、津波について、原発について、政府について、電力会社について、人々の暮らしについて、我が国のありようについて・・・
深く、深く、考えるきっかけを与えられた年でした。
一般人からなるプロボノ・ボランティアサークルである山里センチメンツを立ち上げることにしたのも、あの出来事が大きく関係しています。
(Pro Bono Publico Volunteer=職業上持っている知識・技術や経験を活かして社会貢献するボランティアで、山里センチメンツはこのスタイルを目指しており、それゆえに取り組むプロジェクトごとに山里センチメンツの顔ぶれは変わります。)
僕はその後に立ち上げた山里センチメンツのミーティング時に参加者に配布したプロフィールに、以下のようなことを書いています。


『2011年3月11日に発生した東日本大震災と原子力発電所の事故は、生き残ったわたしたちの人生観や価値観を激しく揺さぶり続けています。
それは東北を中心に大勢の人々の命や多くの健やかな暮らしが失われたのと引きかえに、膨大な数の教訓が次々と目の前に突きつけられたことによるものであります。
そんな中、循環し得ない不自然なエネルギーを大量に用いて欲望のままに消費活動を繰り返す暮らしぶりの矛盾と限界に気づき、山里での暮らし・山里と関わりあう暮らしに、より良く生きる術を見いだそうとする人々が徐々に増えていると思われます。
しかしその半面、国内各地で過疎の勢いは止まることなく、それは国際競争力を持つ巨大企業がすぐ近くに存在する三河中山間地域でも例外ではありません。
これまで山里の環境を維持してきた世代から新しい世代へ、その素晴らしい遺産の受け渡しがなされる必要がありますが、従来の親族間での引き継ぎのみでは無理が生じていますし、行政にサービスを要求し続けそれらをぽかんと口を開けて待つ姿勢は既に時代遅れです。
今後は、多種多様な価値観や能力、経験を持つ人々が自主的に複数回集って交流を図って多くの議論を行い、引き継ぐべきものは引き継ぎ、捨てるべきものは捨て、新たに作るべきものは作るようにして、山里を盛り上げるための有効策が確実に実行されるようなプロセスを踏んでいく必要があると考えます。』




2012年は、僕の暮らしぶりがさらに変わった年でした。
パラレルキャリア、プロボノボランティア、市民活動というものに関心を持つようになり、家庭や職場以外の場で社会に貢献できる活動をすることに生きがいを見いだそうと考えて、そのために必要な様々なキャリアの人達と自然と交流を図るようになっていきました。
とよた森林学校への参加、および、三河中山間地域で安心して暮し続けるための健康ネットワーク研究会への参加も、その一環です。




2013年は、本当にいろいろなことがあった年でした。
山里センチメンツとしては春と秋にミーティングを開催しました。
"こまやまのこう" (4月) と、 "モラル・ハラスメント被害をなくすための講演会" (10月) です。
プライヴェートでは、春のミーティングの二週間前に自動車事故を被ってしまい長らく仕事を休み、秋のミーティングの一ヶ月後には5年間に渡ってがん治療をしていた母をついに亡くしました。
2009年に行われた母の胃がん切除のオペは、僕が地元に戻るきっかけのひとつでした。
その後僕は、いつでも顔を見ることが出来る車で一時間の距離に住み、よく一緒に食事をして様々な話をしました。
高校を卒業して家を出てから、母とは年に一回か二回、会えば良い方、という具合でしたから、こんな人だったのか、と新鮮な思いでした。
5年間のうち、4年半ほどは普通の暮らしができるほど元気でいてくれましたから、嬉しかったです。
母は、Nordic Walking Movement と山里センチメンツという二つのプロジェクトを推進するにあたり、数多くの助言もしてくれました。
春のミーティングはおやつとお茶担当のスタッフとして働いてくれましたが、秋のミーティングの頃は、夏ごろから始まったがんの転移が進んで調子を崩していたため参加できませんでした。
60代前半で天に召されたのは正直ちょっと早いなと思いましたが、多くの人々に支えられて、愛されて亡くなった母はとても幸せな人だったと思います。
人の一生について、生について、死について。
肉親の死は、そういったことについて真剣に考える機会となりますね。




2014年は、喪が明けないまま迎えました。
毎年恒例のお伊勢参りも控えて、静かに過ごしていました。
ひたすら母の死を悼む毎日でした。
それでも、時間の経過とともに少しずつ日常を取り戻していくことになりました。
長らく休んでいた、三河中山間地域で安心して暮し続けるための健康ネットワーク研究会の定期意見交換会にも顔を出すようになりました。
とよた森林学校関係のイヴェントの方は今年はまだ参加できていないのですが、こまやまのこうでお世話になった方からいつもメールでご案内いただいているので、スケジュールとタイミングがあえばぜひ参加したいと思っています。

そんな今日この頃ですが、テレビやインターネットを駆け巡るニュースは、大変心配なものばかりです。
この有様では、2011年の頃の日本が遥か遠い昔のように感じてしまいます。
あのとき多くの人が感じた、良き気づき、が、その後に発生してきた負のベクトルの方向にぐいぐいと引っ張られて、彼方に葬られようとしているように思えてなりません。
時代遅れの抑止力論には辟易しますし、エネルギー政策の間違った舵とりが再び始まっていることに呆れます。
僕が長年仕事で通い、ときには住んで暮した東北は、復興がなかなか進まないばかりでなく、人々の心が傷ついたままであり、その傷に塩を塗っているのは自然災害ではなく心無い行政の人々やそれらに癒着する卑劣な輩です。

軍靴の足音が大きく鳴り響く予感がして不安がよぎる中、最近チェックしているブログがいくつかあります。
こちらこちらです。
僕は幸いにして、太平洋戦争で徴兵された経験を持つ祖父から、当時の話をたくさん聞かされて育ちました。
幼い僕は祖父の膝枕の上で、戦争はしてはいけない、ということを覚えました。
これは、戦争経験者による後世への教育です。
いま、時代遅れの抑止力論を唱えるのは、そうした教育を受ける機会が無かった方たちだと感じます。
暴力により肉親や仲間の命を奪われた悲しみにくれる人々に武器があれば、その人たちは加害者に報復せずにはいられないのです。
政治が混乱する遠くの国で、若者が報復によって殺されたとニュースが伝えていました。
覇権主義国家が、交戦状態にある相手国の戦争を手伝った国に対して報復攻撃をしようとするならば、基地のある場所をまず狙うでしょう。
日本ならば、沖縄など。
他国が仕返しのみならず日本の息の根そのものを止めようと思うなら、ターゲットは間違いなく原子力発電所になるでしょう。
(狭い日本に多くの原子力発電所が作られたのは、アメリカとソビエトの冷戦下において、核爆弾の原料工場としての役割が期待されていただけでなく、利権に群がる業の深い人々のなせる技であったことでしょう。
その反省無く、再稼働を企むのみならず、他国に売り込むなど、正気の沙汰ではありません。オンカロはフィンランドが出した答えでした。日本の政治家とエネルギー関係者は、放射性廃棄物質をいったいどうするつもりなのでしょうか。)

秘密保護法により、なぜ日本が武力を行使するのかは秘密にされます。
徴兵制度は間違いなく始まります。
軍需産業は日本の成長戦略という位置づけになるでしょう。
自衛隊員が、国民が、国を守るために血を流すのは当然だ、と、首相は思っているようです。
信用できない人物たちによるこうした悪しき流れを止める術を知らないわたしたちは、そんなわたしたち自身に苛立っているのです。

前述した北欧諸国の世界の各国に比して優れた面の一つは、国民が政治をコントロールするという当たり前だけれどなかなかできないことを、北欧の人々は成し遂げているということです。
それは国政選挙の投票率を見るだけでも想像できます。
北欧について書かれたいくつかの本によれば、北欧はどの国も投票率は70パーセント以上で、しかも80パーセントを超える国の方が多いのだそうです。
投票率が高いと、どういうことになるのか。
教育の充実により国民の政治に関する知識があるため政治へのチェックが行き届き、その結果、まっとうな政治家が育ちます。
まっとうな政治家が増えることにより、政治家に対する国民の信頼が他の国よりも厚くなっているようなのです。

一般国民、一般市民よりも劣った人間性の持ち主が政治家としてのうのうと生きていける国。
それが日本です。
しかし最も危惧しなければいけないことは、間違った政治が行われようとしてもそれを止める術を知らない、止めるべく行動する勇気を持てない、わたしたち自身の在り様そのものです。

勉強するのにはもう遅い、ということは決して無いと考えています。
止める術を今から知れば良いのです。
止める術を今から知って、実行すれば良いのです。

いまの子供たちが大きくなる頃には、政治を取り巻く状況はきっと良い方に大きく変わっていると信じています。
人々の間で日常会話の中で当たり前のように高度な政治の話がなされるようになり、一人一人が自身の政治に関するポリシーを語ることが当たり前でごく自然な時代がきっと訪れると思います。
それは楽観視しているというよりも、これからの十数年がさらに酷くなるから、であり、その反動から、今の子供たちの中から素晴らしい政治システムを作り上げる素晴らしい政治家が現れることになると考えるのです。
(それはもしかしたら、東北地方から、かもしれませんね。)

平和の維持に武力の力を借りずに地道に、愚直に努力する国でなければなりません。
平和に関する新しい発明をし、平和に関するイノベーションを世界中に巻き起こす国でなければなりません。
武器で威嚇する以外の手法で、他国が攻撃できないような、手を出しにくいような国でなければなりません。
そんな夢みたいな方法は無い、と最初からあきらめるならば、時代に遅れをとることでしょう。
いまの時代で人類の進化を止めてしまいたいのならば、それでも良いでしょうけど。





 




  


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