2014年09月18日 12:09

差別感情の哲学 / 中島義道


今回は本の紹介です。


11/1(土)に足助病院の南棟講義室で開催する 山里センチメンツ・ミーティング#3 【いじめとハラスメントをなくすことについて一緒に学び考える集い】 ~第一回テーマ : 難解なパズルのような心的虐待 = モラル・ハラスメントとはなにか~ の準備をせっせとしている毎日です。

昨秋、旭交流館で開催したモラル・ハラスメントをなくすための講演会とも共通しているのは、催しのタイトルを、~をなくす、としていることです。
「なくなるわけないだろう」と言われるのを承知であえて、なくす、とつけているのですが、とはいえ、人の心の中に悪意が出現してしまうこと自体はやはりなくせないだろうな、と思っています。
自身の中に湧いてしまった悪意を処理しきれず、いじめ、ハラスメント、虐待をすることに至らないように、またはいじめ、ハラスメント、虐待をする人に加担してしまうことのないように、僕らは常に学習しトレーニングを積まなければならないと感じます。


こちらは、そんなことを考えるときに、読むと良いかもしれない本。






差別感情の哲学 / 中島義道 (講談社)
※序章より抜粋

『~前略~

あらゆる悪意とその発露が根絶された理想社会を掲げて現状を嘆くのではなく、自他の心に住まう悪意と戦い続けること、その暴走を許さずそれをしっかり制御すること、こうした努力のうちにこそ生きる価値を見つけるべきなのだ。人間の悪意を一律に抹殺することを目標にしてはならない。誤解を恐れずに言えば、悪意のうちにこそ人生の豊かさがある。それをいかに対処するかがその人の価値を決めるのである。

~中略~

自分のうちに潜む攻撃心を圧殺してはならないということは、それを容認することではなく、ましてそれをそのまま肯定することではない。われわれは、むしろ差別感情に伴う攻撃心や悪意を保持したまま、自己を正当化することが多い。ここに、剥き出しの攻撃心や悪意よりはるかに悪質な、巧妙に隠された攻撃心が育っていく。ここには、差別をしているのではないと言いながら紛れもない差別をしているという狡さが悪臭を放っている。
 人間は様々な場面で狡いが、差別問題はこれが露出する場面である。そのうち最たるものは、「区別があるのであって差別ではない」という主張であろう。これは、必ず差別をしている側から発せられる。

~中略~

差別問題において、「これは、差別ではなく区別だ」と言い張る人は、「自然である」という言葉を因習的・非反省的に使いたくてうずうずしているからである。それは男として自然だ、女として不自然だ、中学生として自然だ、日本人として不自然だ、・・・・・というように。彼はこうした反省を加えない「自然である」という言葉に行き着くことによって、すべての議論を終わらせようとする怠惰な「自然主義者」なのである。
彼は、そこに潜む問題をあらためて見直すことを拒否し、思考を停止させる人である。「結婚するのはあたりまえ、女が子供を産むのは自然」という結論をいつも手にしており、その鈍い刀ですべてをなぎ倒すのだ。

ある人が、差別用語におけるコンテクストにおいて「あたりまえ」「当然」「自然」という言葉を使用したら用心しなければならない。差別感情の考察において、「子供が学校に行くのはあたりまえ、大人の男が働くのは当然」と真顔で語る人こそ、差別問題を真剣に考えている人にとって最も手ごわい敵である。なぜなら、彼らはまったく自らの脳髄で思考しないで、ただ世間を支配する空気に合わせてマイノリティー(少数派)を裁いているのだから。しかも、そのことに気づかず、気づこうとしないのだから。

~中略~

差別感情を扱う際に最も大切な要件は「自己批判精神」であるように思う。いかなる優れた理論も実践も、もしそれが自己批判精神の欠如したものであれば、無条件に自分を正しいとするものであれば、さしあたり顔を背けていいであろう。
とくに、現代に生きるわれわれは差別のない理想的状態の実現を急ぐあまりに、強引に敵を押さえつけるという批判性的な態度をとってしまいがちである。

~中略~

自分の限られた視点・限られた材料・限られた価値観から「客観的結論」を導くという「仮象」に陥る危険があるということである。それを避けるために必要な要件は、パスカルの言う「繊細な精神」ではないだろうか?いかなる議論も人間のあり方を丹念に辿っていく態度に基づかねばならない。大鉈をふるって切り捨てる議論、一方的に切りつける議論は、いかにそれが説得力のあるように見えても、希望をもたせるように見えても、論理的には「正しく」見えようとも、取るに足らない。』



















  


Posted by hyakuyobako

2014年09月16日 23:48

"こまやまのこう" に至るまで

カテゴリ:日々のくらし





僕が主催する山里センチメンツが最初に取り組んだのは、" こまやまのこう (駒山の講) " という名のミーティングです。
たまたま今日、ある方とその駒山の話になりましたので、自身が書いた過去のブログを読み返してみました。
しかし、ふたつのブログに気の向くまま書いていたこともあり、流れをつかむのにちょっと苦労しました。
これを機に記事を時系列に並べてみましたので、関心がある方は通して読んでいただけたら幸いです。




ブナの実など

ブナの木を目指して

噛むと甘いのです

森を歩く講座にエントリーしたわけ #1

森を歩く講座にエントリーしたわけ #2

千匹大絵馬があった場所

山頂にて

不思議な縁

森でいただく豚汁は

森でいただく豚汁は#2

石焼き芋を食べて思ったことは

お礼とお詫びとお知らせ

オカリナ重奏グループ おかり~な・フレンズ

ミーティングのタイトルが決まりました。

最新情報 「こまやまのこう」

いよいよ明日、いこまハウスにて

"こまやまのこう"を終えて

駒山考 #1

駒山考 #2

駒山考 #3





























  


Posted by hyakuyobako

2014年09月13日 22:01

続 iPhone の画面が割れたときは

カテゴリ:日々のくらし

前回の記事の続きです。



結局、画面の割れ方が酷いため、修理ではなく、新しいiPhone5に変えることになりました。
スタッフの方より、

iCloudまたはiTunesにてデータをバックアップされていますか?
AppleのIDとバスワードはわかりますか?

と聞かれたので、はい、いずれも大丈夫です、と返答すると、

新しいiPhoneにバックアップデータを復元するのはお客様ご自身にて、Wi-Fi環境下でしていただきます、と言われました。



僕は割とまめに、数週間に一回は、iCloudにデータをバックアップしていたので、まったく不安な気持ちにはなりませんでした。
しかし、

iTunesを通じてお手持ちのパソコンなどにデータを保存されていますか、

と聞かれたとき、ちょっとドキッとしました。万が一データがiCloudにうまくバックアップされていなかった場合、頼みの綱は他にありません。
でも、まあ、毎回のバックアップ後に失敗した、とか、やり直せ、と言った表示がiPhoneに出たことは無いので、大丈夫だろう、と僕は思いました。



画面が割れたiPhoneの代わりに5千円弱を支払って新品を入手した僕は、家路を急ぎました。
この段階では、iPhoneは空っぽです。電話番号は割り振られていますが、そのままでは緊急電話しかできません。
電話帳は空。
写真データもゼロ。
LINEなどのアプリもゼロ。
インターネットもつながらず、メール類もできず、なのです。

帰宅してすぐに、バックアップされているはずのデータの復元を試みました。
すると、

バックアップデータが不良なので復元できない、といった内容の表示が。
えっ!まさか!

何度やっても、駄目でした。
バックアップデータは時間順に三つあったので全て試しましたが、どれも駄目。

泣く泣くAppleに電話すると、

バックアップが何らかの原因でうまくいっていなかったため、復元しようにも復元するデータがiCloudに無いと思われます、

との回答でした。
つまり、僕の新しいiPhoneは、以前のiPhoneのようにはならない、ということ。
僕は焦りました。
そんなことがありえるかも、とは思っていたしたが、まさか自分のiPhoneがそうなるなんて!

何らかの原因とは何ですか、とAppleに聞きましたが、いくつか例示はなされましたが、今回のアクシデントの原因を明瞭に説明するものではありませんでした。

iCloudの脆弱さを思い知った、事例でした。
幸い、メモ帳、インターネットのブックマークなどはなぜか数時間後に復元されましたが、電話帳は戻らなかったのでauの店舗にて、auのサーバーに残っていた一年半以上前の電話帳データをiPhoneに移してもらいました。
写真などの画像も駄目でしたが、そのほとんどは、iPhoneをノートパソコンにつないだ際に保存してあったので何とかなりました。



*だからそれがどうした、と言われかねのい記事なのですが、もしかしたら誰かの参考になるかもしれないと思い、書きました。^_^
ただし、こうした情報はすぐに古くなりますので一定の期間が経過したら、この記事は消そうと思います。
















  

Posted by hyakuyobako

2014年09月12日 00:45

iPhone の画面が割れたときは

カテゴリ:日々のくらし




先日、iPhone5 の画面が割れました。



地面に落としたのですが、打ちどころが悪かったのか、小石でも落ちていたのか、とにかく画面に細かいヒビが入ってしまいました。
取り急ぎ、これ以上割れないように以前購入して使わずにそのままにしていた透明な薄いカバーを、画面に貼りました。
その上から指で触ると、いつもどおり操作できました。
電話、メール、その他動作に支障はありません。
しかし、粉のようになった細かな破片が少しずつ剥がれて透明カバーに付着し始めたので、これはやはりもう時間の問題か、と思いました。



インターネットでiPhone サポートを検索し、iPhone の修理 - 画面の損傷というページを表示して、修理サービスを申し込むという箇所をクリックしました。
すると今後の流れについていくつかの選択肢が表示されたので、とりあえず僕は後日連絡するをクリックし、書かれている質問に対する答えを記入して送信しました。
夜も遅かったので、持ち込み修理はもちろん、電話によるサポートも今日は期待できないや、と思ったからです。



『連絡先情報をお知らせいただき、ご都合のよいときにお電話をおかけください。詳しい情報をすでに Apple サポートにご提供いただいているため、電話でのご案内にさほどお時間はかかりません。』と書いてありましたから、(修理が明日以降になるとはいえ)少し安心できました。
このあたりは、やはりさすが、Apple、 という感じ。
なぜなら、数ヶ月前に何のきっかけもなく突然電源が入らなくなったのでフォローをしてもらったことがあり、そのときは誠にスムーズな流れで対応してくれたからです。



翌日の夕方に仕事を終えてから、指定されたフリーダイヤルに電話をすると、最寄りの正規サービスプロバイダの紹介と予想される修理料金について案内してくれました。(僕はAppleCareに加入していたので、修理費の出費は税込7,800円以内で収まるだろうとのことでした。)
紹介されたサービスプロバイダは、前回のときと同じお店でした。
僕の自宅からは最も近いのは隣の市のイオン内にある某カメラ屋さんです。
久々なので修理持ちこみの仕組みが変わっているといけないと思い、早速カメラ屋さんに電話すると、

・修理の人で大変混み合うことがある。
・来店時に番号が入った整理券が配られ、その番号順に対応する。
・朝早く(午前7時)イオンに来店し(食品売り場を経由して)開店前のお店(=カメラ屋さん)の前で並ぶお客様もいる。
・整理番号を店頭でお呼びするが、近くにいなければ、以降の番号札を持つ店舗近くにいるお客様の対応を優先する。

とのこと。



翌日。
仕事は休みだったので、イオンへ。
僕にはそんなに朝早くにイオンにおもむく根性は無く、結局到着したのは午前11:00ぐらい。待ち時間を気にしなくて済むように、書籍を数冊持参しましたが、今から修理待ちをするとお腹がすいてしまうな、と気づき、先に食事を済ませました。
その後、11:40ぐらいにカメラ屋さんに到着。
機械からペロリと出ている整理券を取ろうとすると、店員さんからぴしっと注意されてしまいました。店員さんが取って、お客さんに渡すシステムだったのです。
「ならば、そう書いておいてよ、紛らわしい」
と心の中で思いつつ、素直なふりをして、大人しく店員さんの説明を聞きました。

「現在の修理依頼件数からすると、お客様の番が回ってくるのは午後2時過ぎぐらいになります。」
「えっ!そ、そんなに!(やはり朝早く来るべきだったか・・・後悔・・・。)」
ちなみに僕の番号札は70番台の後半で、機械に表示されていたお店がいま対応している人の番号は40番台でした。
しかし、店員さんが
「でもお昼を食べに行ってらっしゃる方が多いようで、しばしお店の近くでお待ちいただいて、番号の進み具合をご確認されても良いかもしれません。意外と早く回ってくるかもしれません。」というようなことをおっしゃいました。
僕はお店の前のベンチに座って、本を読みつつ様子をみることにしました。
アドバイスは素直にきいてみようと思ったからです。

すると、10分後ぐらいに、僕の番号が呼ばれました。午後2時頃のはずなのに、時計を見たら、そうです、まだ正午。
30人以上、抜いたことになります。
み、みんな、お昼ご飯ですか?
(繁盛しているラーメン屋などの飲食店みたいにブザーを持たせて呼んだり、携帯に電話をしたりはしないのですね。)
さっきから僕より前の番号をいくつも呼んでいましたが、誰も来ませんでしたから。
しかしたまたまランチタイムだったからラッキーだっただけで、来店する時間帯によっては本当に数時間待つのかもしれません。
(前回もそう言えばお昼時だったかも、いや違ったかな?・・・あまりよく覚えていませんが、30分ぐらい待った記憶だけはあります。)




To be continued.











  


Posted by hyakuyobako

2014年09月09日 01:00

社会性がない人とは?

カテゴリ:転載

(北欧旅行にて撮影。記事のタイトルとは何ら関係ありません。)



8月から歯医者さんに通っています。
歯が欠けてしまったからです。
(と言っても、欠けたのは虫歯を放っておいたせいなのですが。)



僕が通っている歯医者さんは治療台の近くに雑誌などの本を置いていて、治療の前や合間に先生を待っている間、手に取って読むことが出来るのです。
その日座った席にはたまたま読みたくなるような雑誌がなく、やむなく普段はまず読まない女性誌を、パラパラとめくっていました。
すると、こんな記事を発見しました。
読んで思ったことは、「あれ、この雑誌は何ヶ月も前の雑誌だな」ということと、「ひどいことを書くな」ということと「漢字の使い方が違う」ということでした。



漢字の使い方は、これは編集者のせいだと思うので、まあどうでもよいのですが (矜持という言葉は、近年、という言葉の意味と取り違えて使われることが多く、最近は国語辞典でも取り違えていたりするので、文学者の方のみならずよくあちこちで指摘や議論がなされている最中の言葉です。他の漢字と同じく時代の流れとともにいずれ意味が変わってくるとしても、書くことを生業とする人ならば今は迂闊に使わうべきでない状態にあることを知っています。
その昔中国で、ある国のお姫様が庶民の住む町でお婿さん探しをすることになり、そのことが人の噂によって町の男たちの知るところとなり、お姫様に気に入られようと皆、行儀を良くして良い男の振りをしたそうです。結局、そんな演技をせずに自然体で過ごしていた男が選ばれてお姫様と結ばれます。町のバカな男たちの様が、矜持という言葉の由来だそうです。
つまり、持ではなく恃という字を使った方が、そもそもこの週刊誌の記事で言いたいことだったのだと思います。)

ひどいこと、というのは、もちろん『擁護する側はどんな人たちなのでしょう。社会性のない人が共感していたのではないでしょうか。』というくだりです。
呆れるとともに悲しくなりました。

『教師だけでなく医師が、消防士が、警察官がみなこのような姿勢で仕事に向き合ったなら、世の中はどうなるでしょうか?』とも書いてありますが、本件は突然のアクシデントから生徒を守る、とかいうシチュエーションではないじゃないですか。
むしろ、教師以外の上記の職業についている本人とその家族、関係者は、本件の担任教師を擁護する側に立たない人は少ないのでは、と思います。
なぜなら、医師や消防士は、代わりがいるから、交代しているから、何とか成り立つ苛酷な職業だからです。
そして破綻なく仕事を遂行するために、常に、仕事に必要な情報を共有し、仕事のスキルの標準化を図っているのです。
医師や消防士に関係した人たちでなくても、いわゆるシフト制度、交代制度で働いている人とその関係者と、そうでない人たちでは担任の先生を擁護する、しないがかなり違ってくると思いませんか。


外資系企業に勤める方も今回の事件は?でしょうね。
芸術家、アーティストなど、独創性や独自性が求められる仕事は別として、特に公共サービスに関する職業においては、一部の人に負担が押し寄せないよう、人の代わりがきくような働く仕組みを作るのが現代社会のあるべき姿です。
何のために副担任がいるのでしょうか。
ちゃんと事前に相談して、話し合いをし、手続きをしているのに。
法律上、何ら不備は無いし、教育上も何の問題も無い。
あとは関係者へのお知らせの仕方に失礼が無かったか、ですが、もし失礼があったとしても、担任の先生が責められる理由が見当たりません。



担任しか知りえないこと。
担任しかできないこと。

そんなの駄目です。
子どもの頃、1年間、担任による超ハラスメント学級にいました。
このとき教職者=聖職者という概念は吹っ飛びました。
副担任は知らんぷり。周りの先生も知らんぷり。
なぜなら、担任ではないからです。
そういう酷い話でなくても、そもそも子どもは、なるべくいろんな大人が関わった方が良いのですよ。
代わりの人がいるということは、多様な関わり方につながります。



図書館や本屋さんに行くと、教育書籍コーナーは、学級崩壊とかいじめとかモンスターペアレンツといった文字が背表紙に書かれた本が目立ちます。
どれも担任が一人で立ち向かえるような軽々しい案件ではないですよ。
というか、学校だけでは無理です。
大人社会の縮図なのだから、地域や社会の問題なのです。
家庭の機能不全によって子どもが苦しみ、その苦しみが学校に負の出来事を産み出すのです。
もちろん前述したように変な先生はたくさんいますが、先生を聖職者扱いして背負いきれないストレスをかけることは、結局、"まともな顔をした実は変な先生"を産み出すことにつながります。



教職=聖職、という凝り固まった権威主義的な考え方をする人は、ハラスメント問題において悪い意味で重要な役回りをするケースが多いです。

妻だからこうあるべき
親だからこうあるべき
上司としてこうあるべき
部下としてこうあるべき
人間としてこうあるべき

~べき、に固執する人がハラスメントを巻き起こす(加害者だったり、加害者に加担する第三者だったりする)可能性が高いのです。



胸を撫で下ろすのは、この欠席事件に関しての海外に住むまともなひとたちからの反応は、「日本は遅れてるんじゃないの」というものが多かったことです。
もちろん現地である埼玉県でも、そして日本全体でも、擁護する人の方が多いようなのですが、許さないと言ってる人がたくさんいる、とか、賛否両論とか書いた方が雑誌は売れるし視聴率もとれますからね。
上記の記事中で、街頭インタビューのことに触れていますが、そんなたまたま見たひとつの番組の印象を語られても、
説得力がまったくありません。

そういえば、おぎママが擁護派でなかったのは意外でした。
入学式なんて良い子のふりする(まさにの)子どもたちが多いのですから、おぎママの言うように担任が入学式の日のクラスをつぶさにモニタリングする意味はそんなに無いのでは、と思いましたが。
副担任が見て、次の日に担任が見れば済むことじゃないですか。
ある職業の"責任の範囲についての議論"すらまともに報じられない日本のマスコミ。
もう終わってます・・・。



この件はその昔、アグネス・チャンさんがテレビ局の要請でやむなく子連れで仕事に来ていたことを、バカな作家たちが「職場に子どもを連れてくるな」と、ネチネチ批判した事件と一緒です。
担任の入学式欠席事件も、なんでみんなあんなことが問題になったんだろ、とか、当時の日本は遅れていたね~、とか、未来の日本の人たちに間違いなく言われてしまいますね!




















  

Posted by hyakuyobako

2014年09月08日 13:28

Volunteer Illustrator & Photographer Wanted.


*数年前に北欧旅行をしたときに乗ったスカンジナビア特急の車中に置いてあった雑誌。北欧のデザインは素晴らしいと思えた旅行でした。
そのあたりのこと、いつか記事にしたいと思っています。



僕が主催しているプロボノボランティアサークル、"山里センチメンツ"が展開しているハラスメント抑止活動において、ボランティアにてイラスト素材を描いて下さる方、写真素材を撮ってくださる方を常時募集していく予定なので、そのことについて少し書きます。


昨年、豊田市旭地区のわくわく事業のサポートを得て、モラル・ハラスメントをなくすための講演会と複数回の学習会を開催したのち、Anti-Moral Harassment Project と名付けたプロジェクトをはじめました。
その一環として、こうしてブログなどに文章を書いているのですが、そのときに困るのが文章に添える画像をどうするか、ということなのです。

モラル・ハラスメントに限らず、あらゆるハラスメント、虐待、いじめのことを文章以外で、絵や写真で表現するのはなかなか難しくて、いつも悩みます。
自分たちの力ではどうにもならないし、身近でそういうことに長けている人もいなくて(→いるかもしれないけれど、探し当てられなくてまだ話ができていないのかもしれません)、どうしたものかな・・・と思っていましたが、つい最近、僕が長らく抱いていたイメージにとても近い一枚のイラストに出会うことができました!
それが、こちらのイラスト!







Illustrated by Mina.


描いたのはminaさんというイラストレーターの方。
わたしたちの普段の活動や学習会の趣旨を説明してこのイラストを描いていただいたわけではなく、minaさんが既に描かれていたものを僕がたまたま目にしたのがはじまりです。
すぐに気に入り、ブログに使用したい旨をお伝えしたところ、快くOKをいただきましたので、複数のブログの複数の記事で使わせていただいております!
また、香嵐渓ライトアップの初日となる11/1に足助病院にて開催する 山里センチメンツ・ミーティング#3 【いじめとハラスメントをなくすことについて一緒に学び考える集い】 ~第一回テーマ : 難解なパズルのような心的虐待 = モラル・ハラスメントとはなにか~ のフライヤー(チラシ)でもご覧いただけます!

このイラストは、わたしたちの活動 = いじめ、ハラスメント、虐待を抑止する活動 に関する情報 を、世の中の大勢のみなさんにお届けする際の、箱舟のような役割を果たしてくれるような、そんな気がしています。






さて、ここからが今日の記事の本題です。
この記事を読んでいらっしゃるみなさんの中で、またはみなさんのお知り合いで、いじめ抑止、ハラスメント抑止、虐待の抑止にご関心があり、ボランティアイラストレーターとしてブログ用のイラストを描きたいと思われる方は、ぜひご協力をお願いします。
そして同時に、ボランティアフォトグラファーの方も募集します。
写真素材を無料で提供していただくボランティア、ということです。
それらのイラスト素材、写真素材は、下記のブログ記事に添えます。

http://blogs.yahoo.co.jp/anti_moral_harassment_project/
http://ameblo.jp/a-mh-project/
http://amhproject.exblog.jp/
http://antimoralharassmentproject.boo-log.com/
http://yamazatosentiments.boo-log.com/
http://chu3annetworksg.boo-log.com/
http://nordicwalkingmovement.boo-log.com/

もちろん中にはせっかくエントリーいただいても採用に至らない場合もありえます。
しかし、そういった素材の一部は、講演会や学習会の会場に展示して参加された方々に見ていただくことも考えていますので、どうかご容赦とご理解をお願いします。

募集の期間は定めません。
プロジェクトは、いつからいつまで、いついつでおわり、という類のものではないからです。
エントリー方法など、詳しいことについては、もう少しお待ちください。
今後、山里センチメンツのブログ、Anti Moral Harassment Project のブログなどに記したいと思います。
少々お時間をください。






画像の無断掲載・転用を禁止します。












  


Posted by hyakuyobako

2014年09月07日 20:59

神越渓谷にて

カテゴリ:いただきます


神越渓谷にて。

いつものBBQ仲間で初めて訪れ、マス釣りを楽しみました。
















とても気持ちの良い渓谷で、みなリラックスできました。
釣果も上々。
塩焼にて美味しくいただきました。











近場にこんなに良いところがあるとは思いませんでした。
おすすめです。


http://kamikoshi.ina-ka.com/



















  


Posted by hyakuyobako

2014年09月06日 23:23

夢竹灯篭まつりにて

カテゴリ:日々のくらし




今宵、風鈴寺として多くの人が足を運ぶ増福寺にて、夢竹灯篭まつりが開催されました。
写真は、まつりを音楽で盛り上げた"うたうたい"のみなさん。
縁あって、昨夜のリハーサルを間近で拝見させていただきました。




アドリブ風の爆笑MCも、実は綿密なリハあってのもの、ということがよくわかりました。
(注:うたうたいはコミックバンドではありません。)








僕はと言えば、何だかんだでお寺への到着が遅れてしまい最後の二曲しか拝聴できませんでしたが、小雨が降る中、小さなお子様からご年輩の方々まで、地域の大勢のみなさんが手拍子で楽しんでいらっしゃいました。






















  


Posted by hyakuyobako

2014年09月05日 00:35

今年の春から夏にかけて読んだ (読んでいる) 本

カテゴリ:日々のくらし



購入したものと図書館で借りたものが混在しています。
中には、丁度現在読んでいる本も。
そして、以前にパラパラと流し読み程度しかしておらず、最近になってちゃんと読んだ本も。
シュタイナーはお盆の前ぐらいに、眠る前に読んでいました。笑




< 今年の春から夏にかけて読んだ (読んでいる) 本 2014 >

DVはいま / 高畠克子
アメリカ発 DV再発防止・予防プログラム / 山口佐和子
アダルト・チルドレンと癒し-本当の自分を取りもどす / 西尾和美
機能不全家族 / 西尾和美
子ども虐待対応ハンドブック / ハワード・ドゥボヴィッツ、ダイアン・デパンフィリス (編著)
子ども虐待 多職種専門家チームによる取り組み / 松田雄雄
夜と霧 / ヴィクトール・E・フランクル
傷つく人、傷つける人 / 信田さよ子
タフラブという快刀 / 信田さよ子
モラル・ハラスメントのすべて / 本田りえ、露木肇子、熊谷早智子
パワーハラスメント / 岡田康子、稲尾和泉
それ、パワハラです / 笹山 尚人
加害者臨床の可能性 / A・ジェンキンス (訳 信田さよ子、高野嘉之)
黒澤明 全作品と全生涯単行本 / 都築 政昭
臨床心理学のすべてがわかる本 / 松原達哉 (編著)
コミュニティ心理学入門 / 植村勝彦 (編)
コミュニティデザインの時代 / 山崎 亮
ソウル・フラワー・ユニオン 解き放つ唄の轍 / 石田昌隆
差別感情の哲学 / 中島義道
「心の時代」と教育 / 小沢牧子
寝ながら学べる構造主義 / 内田樹
いのちと放射能 / 柳澤桂子
森の聖者 / ジョン・ミューア
ロングトレイルという冒険 / 加藤則芳
里山資本主義 / 藻谷浩介、NHK広島取材班
宇宙飛行士選抜試験 / 大鐘良一、小原健右
宇宙に外側があるか / 松原隆彦
神智学 / ルドルフ・シュタイナー
いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか / ルドルフ・シュタイナー
日本が世界一「貧しい」国である件について / 谷本真由美
ホウレンソウ禁止で1日7時間15分しか働かないから仕事が面白くなる / 山田昭男
スウェーデンの持続可能なまちづくり / サラ・ジェームズ&トルビョーン・ラーティー
フィンランドを世界一に導いた100の社会改革 / イルッカ・タイパレ(編著)
灯をともす言葉 / 花森安治





こんな体裁の記事を、ブーログを利用している多くの皆さんが書いたら面白いと思います。
読書感想文や書評を書くのはつらいけれど、タイトルを羅列するだけなら、簡単でしょ。
どなたか書いて下さらないかな。
お待ちしています。




















  

Posted by hyakuyobako