2015年02月24日 00:48

【転載】過ち繰り返さぬために 「火垂るの墓」高畑監督に聞く

カテゴリ:転載

(写真はお伊勢さん参りの道中に買いもとめたお土産。記事の内容とはまったく関係ありません。)


以下の文章は神奈川新聞より転載したものです。




『いたいけなきょうだいの死から戦争の悲惨さを描いた不朽のアニメ映画「火垂るの墓」。監督を務めた高畑勲さん(79)は語る。「あれは反戦映画ではない」。戦後70年を迎え、いつか来た道へ向かう足音がその耳に届く。言葉が熱を帯びる。惨禍を嘆き悲しむのではなく、いまこそ自らの愚かしさに目を向けよ、と。

■愚かしさ省み歯止めを

 火垂るの墓は反戦映画と評されますが、反戦映画が戦争を起こさないため、止めるためのものであるなら、あの作品はそうした役には立たないのではないか。そう言うと大抵は驚かれますが。

 1988年公開。太平洋戦争末期、空襲で母と家を失った14歳の兄清太と4歳の妹節子の物語。食糧事情悪化につれ、身を寄せた親戚からうとましがられ、2人は防空壕(ごう)で暮らすようになる。周囲の大人も手を差し伸べることはなく食料が尽き、やがて命も尽きる。原作は野坂昭如さん。高畑さんは「人は悲惨な目に遭うと人情というものが働かなくなるということを伝える話だ」と語る。

 -原爆をテーマにした「はだしのゲン」もそうですが、日本では平和教育にアニメが用いられた。もちろん大きな意義があったが、こうした作品が反戦につながり得るかというと、私は懐疑的です。攻め込まれてひどい目に遭った経験をいくら伝えても、これからの戦争を止める力にはなりにくいのではないか。

 なぜか。為政者が次なる戦争を始める時は「そういう目に遭わないために戦争をするのだ」と言うに決まっているからです。自衛のための戦争だ、と。惨禍を繰り返したくないという切実な思いを利用し、感情に訴えかけてくる。

 -「戦争をしたとしても、あのような失敗はしない。われわれはもっと賢くやる。70年前とは時代が違う」とも言うでしょう。本当でしょうか。私たちは戦争中の人と比べて進歩したでしょうか。3・11で安全神話が崩れた後の原発をめぐる為政者の対応をみても、そうは思えません。成り行きでずるずるいくだけで、人々が仕方がないと諦めるところへいつの間にかもっていく。あの戦争の負け方と同じです。

 再び戦争をしないためには、あの戦争がどのように進んでいったかを学ばなければならないと思うのです。

 私が戦争中のことをどれだけ知っているかと聞かれれば、大したことはない。でも、安倍晋三首相よりは知っています。

 35年生まれ。岡山市で空襲に遭い、焼夷(しょうい)弾の雨の中、家族とはぐれながら辛くも逃げのびる。敗戦当時9歳。東大仏文科を出て東映動画入社。テレビシリーズ「アルプスの少女ハイジ」「母をたずねて三千里」などを演出し、宮崎駿さんとスタジオジブリ設立後は映画「おもひでぽろぽろ」「ホーホケキョとなりの山田くん」「かぐや姫の物語」などで監督を務めた。

 集団的自衛権の行使を認めるということは、海外では戦争ができない国だった日本が、どこでも戦争できるようになるということです。政府は「歯止めをかける」と言うが、あの戦争を知っている者にとっては信じられません。ひとたび戦争が始まれば歯止めなどかかるものではありません。

 そもそも日本人は戦前から米国が好きだった。ジャズや野球、映画といった文化に親しんでいた。その国と戦争をするとは誰も思わなかった。やっても勝てないと思っていた。

 ところが、真珠湾の奇襲作戦が成功して戦争になってしまったら、あとは日本が勝ってくれることだけを皆が願い始めた。それはそうでしょう。負けたら悲惨なことになるに決まっているんですから。

 息子の兵役を逃れさせたり、戦争に反対して逮捕されたりした人もいたが、ごく少数。始まってから反対の声を上げるのは難しい。いやいや戦争に協力させられたのだと思っている人も多いけれど、大多数が戦勝を祝うちょうちん行列に進んで参加した。非国民という言葉は、一般人が自分たちに同調しない一般人に向けて使った言葉です。

 「空気を読む」と若者が言うでしょう。私はこの言葉を聞いて絶望的な気持ちになります。私たち日本人は昔と全然変わっていないんじゃないか、と。周りと協調することは良いことですが、この言葉は協調ではなくて同調を求めるものです。歩調を合わせることが絶対の価値になっている。

 日本人は昔から意見の対立を好まない。皆を仲間内にして、和気あいあいとして争いを避ける。寄り合いも全員一致主義で、どうしても駄目なら村八分にする。個を確立し、意見が異なっている人との違いを認め、その上でうまくやっていくという努力を好まない。議論を戦わせない。古くからあるこの体質によって日本は泥沼の戦争に踏み込んでいったのです。私はこれを「ズルズル体質」と呼んでいますが、「空気を読む」なんて聞くと、これからもそうなる危うさを感じずにはいられません。

 だからこそ憲法9条の存在が大事だと思うのです。これこそが「ズルズル体質」を食い止める最後の歯止めです。

 戦後の平和をつくってきたものは何かといえば、9条です。基地の負担を押し付けられている沖縄の犠牲を忘れてはなりませんが、米国が戦争を繰り返す中、9条のおかげで日本人は戦争で命を落とすことも人の命を奪うこともなかった。政権の手足を縛ってきたのです。

 これを完全にひっくり返すのが安倍政権です。それも憲法改正を国民に問うことなく、憲法解釈の変更という手法で、です。

 消費増税を先送りし、アベノミクスの是非を争点に据えた昨年暮れの総選挙で圧勝した自民党。安倍首相は集団的自衛権の行使容認に踏み切った昨夏の閣議決定を踏まえ、安全保障法制の整備にも「国民の信が得られた」と意欲をみせる。自衛隊法の改正などの審議が国会で始まる。

 隣国との対立が深まり、不穏になっているからといって不戦の理想の方を変えるのはどうかしています。9条を大事にしているということは、武力で解決するつもりはない、というメッセージになる。東アジアに戦争の記憶が残る中、戦争をしないというスタンスはイニシアチブになるはずです。「普通の国」なんかになる必要はない。ユニークな国であり続けるべきです。

 戦争ができる国になったら、必ず戦争をする国になってしまう。閣議決定で集団的自衛権の行使を認めることによって9条は突如、突破された。私たちはかつてない驚くべき危機に直面しているのではないでしょうか。

 あの戦争を知っている人なら分かる。戦争が始まる前、つまり、いまが大事です。始めてしまえば、私たちは流されてしまう。だから小さな歯止めではなく、絶対的な歯止めが必要なのです。それが9条だった。「最小限の武力行使」「戦争をやるとしてもうまくコントロールしてやる」なんて、そんな能力を私たち日本人が持っていると思わない方がいい。安倍首相だけが特別無自覚というわけではないと思います。私たちはこの70年で基本的な体質が変わることはなかったのです。』

神奈川新聞
2015.01.01

























  

Posted by hyakuyobako

2015年02月23日 20:30

『スウェーデンの持続可能なまちづくり』

先般、アルプス子ども会代表である綾崎幸生氏のお話を聴く機会を得て、思い浮かんだことを書き連ねています。



お話の中で、子ども会は上意下達というスタイルをとらない、子どもたちを番号で呼ぶことになるゼッケンは使わない、笛も(生命に危険が及びような非常事態以外は)使わない、と言うようなことをおっしゃっていました。

僕は、子供たちに向かって強く厳しい口調で指示や指導をしたり笛で指示することはその年長者の指導能力の不足を露呈していることだ、と前から強く思っていましたので、アルプス子ども会の方針を聞いて当たり前のことを当たり前にやっていらっしゃるな、と思いました。

子どもたちが高圧的な指導者や高圧的な仲間に従順になることで、集団生活における規律を守る癖がつくように錯覚している大人がいますが、利己的で責任回避思考ばかりが発達した駄目な大人や自己肯定感の低い大人になるためのトレーニングをしているに過ぎません。

また、高圧的な指導者や高圧的な仲間がいる中で子どもたち同士が民主的な話し合いなどできるわけはなく、できているように見えたとしてもそれは所詮身を守るための演技ですから百害あって一利なしです。

子どもたちを一人の人として扱わずに物のように扱い無理矢理言うことをきかせるやり方では、他者を思いやる気持ちを持った利他的な大人に育てることなどとてもできません。



かと思えば、


・穏やかな指導をするが熱意がない先生
・子供たちをつい叩いてしまったりするが熱意に溢れる指導をする先生

これら二つのタイプのどちからかを選ぶとすらならば、後者の方が良い、というお母さんが僕の身近にいらっしゃいました。

お母さんがこの発言をされる前に僕らがしていた会話は、子供たちが通う学校に熱意の無い教師たちがいて困っている、というお話だったので、このお母さんの気持ちはよく分かりました。
ですから僕はただただうなづいてお話を聞いたのです。

もちろん、熱意があろうとなかろうと、言うことを聞かせようと高圧的に、ましてや暴力を用いて指導や指示することがダメであることは、そのお母さんはよくわかっていらっしゃいました。

しかし、教師が周りの顔色ばかり伺い、保身ばかり考えて子供たちを指導しようとするならば、その悪しき姿は子供たちにとって良くない影響を与えてしまうのではないか、
お母さんはそういうことを怖れているように感じました。





さて、ここで一冊の本を紹介します。

この本はタイトルが示す通りスウェーデンにおける持続可能な社会づくりに関することが書かれています。

第7章で子供たちの教育と持続可能な社会との関係性について触れられているのですが、その冒頭にはこんな良い一文が書かれていました。
その一部を抜粋しますね。



『学びについて

よく言われることだが、私たちの未来を担うのは子どもである。未来を現在とは違ったものにしたいと思うなら、子どもたちに早くから理想の未来を考えさせ、それを実現させるようにしなければならない。これは、私たち大人が作り出してしまった問題を子供たちに解決させるということでなく、早くから今までとは違う物事のやり方や世界の見方を教えるということだ。』



いかがですか。

これは、現代日本における子供たちの教育において、著しく欠けている視点だと思いませんか。

大人のその場その場の利己的な都合で、子どもの成長への悪影響を考えず、子どもに無用な緊張感を強いて思うままに支配しようとしたり、理想の未来を考える機会を与えずに、とにかく今の世の中で無難に生きる処世術だけを教え込もうとする大人が多いのではないでしょうか。

または、人間性を高めることにフォーカスしない競争意識を煽るだけの(不安にさせることで金を得ようとする輩が仕掛ける)質の低い情報を鵜呑みにして、子どもたちをその時代錯誤な型に無理にはめようとする大人が多いのではないでしょうか。

そういう妙な空気の中で「今までとは違う物事のやり方や世界の見方」を子供たちがしやすい環境を作ろうとするのは容易いことではありません。

世間の不穏な同調圧力に屈することなく自ら考えて行動する力を育む手立てのひとつは、子どもたちが元々持っている良い資質をより強いものにするため子どもたち同士で遊び、喧嘩し、あらゆるコミニュケーションを試して切磋琢磨することができる場所と機会を大人が作ることなのです。

かねてよりぼんやりと考えていた上記の考え方は、僕が綾崎さんのお話を聴く機会となった、おいでん・さんそんセンター主催の『いなかとまちのくるま座ミーティング』で確信に変わりました。

くるま座ミーティングの午後に行なわれた次世代育成グループのディスカッションでも参加者の皆さんもそういう考え方の持ち主でした。

そしてディスカッションの前後に聴いたアルプス子ども会の綾崎さんのお話は、アルプス子ども会は民間企業でありながら「 今までとは違う物事のやり方や世界の見方」を子どもたちができるような環境づくりを長年されてきたこと、そしてリピート率や保護者からの反応などの実績からアルプス子ども会のやり方が間違っていないことがとてもよくわかるものでした。



To be continued.

































  


Posted by hyakuyobako

2015年02月22日 00:22

『日本が世界一「貧しい国」である件について』

アルプス子ども会に関することを書き連ねていますが、前回の記事に続き今回の記事も、本の紹介を兼ねたものにいたします。




この本は痛快でたいへん面白いです。
Amazonカスタマーレビューの評価は低いのですが、低い点数をつけている人のコメントを読むと著者がなぜこんな本を書いたのかという動機が見えてきます。^_^


さて、月初に小原交流館にて開催されたいなかとまちのくるま座ミーティングにおいて、アルプス子ども会代表の綾崎氏も日本人(大人と子ども)の問題点について指摘されていました。
その一部を下記に記します。


・社会的弱者への意識に問題があること
・対人関係において共感力が低下していること
・言葉を用いる力とコミニュケーション力が著しく低下していること
・多様な生き方を認めあえていないこと
・科学的な物の見方、多面的な物の見方ができていないこと
・同調圧力をかけて互いに苦しめあっていること
・自己肯定感が低いこと
・責任回避思考が強いこと
・支配欲・自己顕示欲を愛情だと勘違いしていること


いかがですか?
いや、そんなことはない、とあなたは思いますか?

僕は思い当たることばかりですけど。

この本で著者が訴えたいことと、綾崎さんがおっしゃったことは概ね一致するのでは、と思いました。
日本人はいつのまにか先進諸外国と比べて人間性の面では周回遅れに陥っている、と言うことです。

ちなみにアルプス子ども会は全国都道府県の子供たちのみならず、海外で暮らす日本人の一時帰国時に子どもたちを預かることが多いそうでその国の数は30ヶ国に及ぶそうです。
アルプス子ども会のスタッフにインターナショナルな感性を理解する力や国際的に通用する常識が備わっていなければそうした顧客などつかないわけですから、アルプス子ども会が常にワールドワイドに情報のアンテナを張っている組織であることが想像できます。


そういえば最近、日本人は世界から尊敬されている、という演出がなされたテレビ番組が何だか増えましたが、恥ずかしくてまともに見て入られない番組が多いです。
例えば、取り上げられる職人さんや企業人の方々が素晴らしい仕事をしているのは事実だとしても、ナレーションや芸能人のコメントが自画自賛し過ぎていて気持ち悪いのです。
やたらと自虐的、自己批判的になることはありませんが、井の中の蛙的、内弁慶の自己陶酔だけは最悪です。





To be continued.




















  


Posted by hyakuyobako

2015年02月20日 17:07

『森の力』、『森林療法のてびき 地域でつくる実践マニュアル』

アルプス子ども会に関することを書き連ねていますが、前回の記事に続き今回の記事も、本の紹介を兼ねたものにいたします。





2009年にデンマーク、スウェーデン、フィンランドを旅行した際に、それらの国の森と人々の結びつき方、関わり方がたいへん面白いと感じました。
森に関心を持った僕が帰国してすぐにAmazonにて買い求めて読んだのが浜田久美子さんの『森の力』と上原巌さんの『森林療法のてびき 地域でつくる実践マニュアル』という本でしたが、その当時はまだ今の仕事はしておらず、山里センチメンツなどのプライヴェート活動も始めていなかったので、どちらもさささ、と一回読んだきりで、長らく本棚の奥に眠っていた次第。

先日、あっ、こんな本を持っていたんだ、と気づき、ミーティングの前に読んでおけば良かったな、と思いました。
なぜならば、どちらもまずたいへん良い本であり、そして何よりも森林が7割という自然豊かなわがまちが、次世代育成において(そして自然を活用した健康療法において)これから向かうべきより良き方向を指し示してくれているからです。

(ミーティング、と言うのは先般豊田市小原交流館にておいでん・さんそんセンターが主催したくるま座ミーティングのこと。
午前に基調講演を拝聴したのち次世代育成をテーマとしたグループミーティングに参加しました。
話題提供者としてアルプス子ども会の代表 綾崎幸生氏が参加されましたが、他にも野外保育とよた森のようちえん 「森のたまご」、とよたプレーパークの会に携わっていらっしゃる方々が参加されミーティングをコーディネートされていたのです。)




ひとつ前の記事にて触れた高橋和巳氏の本には、『何かを知ることは、「それ」から「離れる」ことである。』と書いてありました。
森と携わることは、森以外の場所で暮らす自分の真の姿に気づく機会を得ることになるかもしれません。
親から離れることで親を知り、親に守られていた自分を知るのです。
知らない土地で知らない子どもたちと過ごすことで、普段自分が通っている馴染みある学校生活を客観視できるのです。

アルプス子ども会は、宿泊日数が長いことでも知られているそうです。
例えば、小学校低学年の幼いお子様が10日も親元を離れて、育った環境が異なる多様な価値観を持つ子どもたちに囲まれて自然溢れるアルプスで過ごす日々を想像して下さい。
2泊3日で得られることももちろん沢山ありますが『特別な日』が長ければ長いほど、その恩恵と、得られた恩恵からのフィードバックは比例して多くなるに違いありません。




To be continued.























  


Posted by hyakuyobako

2015年02月20日 02:55

「消えたい 虐待された人の生き方から知る心の幸せ」



これは、繰り返し読んでいる本。

僕らが想像できない世界を生きてきた人たちについて、書かれた本です。
タイトルを見てピンときた方はぜひ手にとってください。

著者は、高橋和巳氏。
『子は親を救うために「心の病」になる』
という素晴らしい本を書かれた精神科の医師です。




さて、数日前からアルプス子ども会についての記事を書いているのですが、まだアップできる状態にありません。

まずはアルプス子ども会のホームページにあるお便りコーナーを隅から隅まで、全てにじっくり目を通したのですが、エネルギーを消耗してぐったりしてしまいました。
残留思念のようなものがそこにあるかのごとく、でした。
丁寧に読めば読むほど、子を思う親の思いと、子と親を思うアルプス子ども会側の思いの数々が縁もゆかりもない僕の心をグサグサと貫きました。
子も親も、生きにくい現代社会で混迷して苦しんでいる(自覚しているかどうかは別にして)ことが、あらためてよくわかりました。
同時に、アルプス子ども会の存在を運良く知ることができ、子どもが子ども会に参加するに至ったファミリーはとても幸せなのでは、と思いました。




今月初めに豊田市小原交流館にておいでん・さんそんセンターが主催したくるま座ミーティングにて、次世代育成「子どもとともに地域をつくる」というテーマのグループミーティングに参加することにしたのは、仕事柄、ほぼ毎日たくさんの子どもたちに接するからという理由だけではありませんでした。

2013年の【モラル・ハラスメント被害をなくすための講演会、学習会】、2014年の【いじめとハラスメントをなくすことについて一緒に学び考えるつどい】というプライヴェートで取り組んだ(どちらかと言えば大人社会でのそれに力点を置いた)ふたつのプロジェクトを通じて、不健全な生育歴=被虐待児であったという悲しい過去を持つ加害者の存在と、被虐待児であっても加害者にならない人たちの存在の両方を知ることに至りました。
前者については世代を超えて連鎖することが知られており、その連鎖を断ち切ることは専門家にしかできない領域だと思われるのですが、欧米に比べて日本は専門家以外の一般人のそうした方面の知識があまりにも無さ過ぎるという危機的状況にあります。
家庭、教育機関、医療機関、そして行政はもちろんのこと、コミュニティにおいても予防的な面で何かできることがないだろうか、と考えていたのが昨年の末頃でした。
そんな中、今年になって、くるま座ミーティングのテーマのひとつに次世代育成というテーマがありアルプス子ども会の代表の方がいらっしゃることを知ったとき、こんな機会はなかなか無いので迷わずエントリーすべきだ、と思ったのです。


アルプス子ども会代表の綾崎幸生さんのお話は僕の腑に落ちるものばかりでした。
(詳しくは次回の記事で触れますね。)
親から虐待を受けている子どもがアルプス子ども会に参加できる可能性はそうでない子どもと比べたらたいへん小さいと思いますが、アルプス子ども会がやっていらっしゃることの中には、虐待抑止・予防をも含めたコミュニティでの子育てに応用できるものが何かあるのではないかと思いミーティングに参加したのです。

僕の不確かな予感は確信に変わりました。



国連子どもの権利条約を念頭に置かれ、一人の例外もなく支え守り合う関係を築くべく指導していらっしゃるアルプス子ども会。

ドラッカーは著書に
『人を組織に引きつけるものは高い基準である。高い基準だけが誇りをもたらす。』と書きました。
また、
『ミッションはシンプルかつ明確にしなければならない。』
とも。

アルプス子ども会が掲げるシンプルかつ高い基準のミッションを、現実の世界では到底叶わない夢物語に過ぎない、と鼻で笑う輩がいるかもしれませんが、親からおたよりとして寄せられた子どもたちの成長エピソードと、リピート率が5割以上であるという揺るぎない事実がその素晴らしい成果を示しています。

さらにドラッカーは、成功している組織が陥りやすいのは自己陶酔による崩壊であるというようなことを書いていましたが、アルプス子ども会についてはそんな心配は微塵もないと感じました。
何でわかるんだ?と誰かに言われたら、代表の綾崎氏の話を聞き、ホームページのおたよりコーナーを読めばわかるよ、と答えようと思います。




To be continued.



































  


Posted by hyakuyobako

2015年02月11日 18:52

アルプス子ども会について書く前に







前々回の記事より、2/6(金)に豊田市の小原交流館で開催された『いなかとまちのくるま座ミーティング』のことを書いています。

午前中に民俗研究家の結城登美雄氏による「都市と農山村が支え合う社会」と題された基調講演を拝聴したのち、参加者は下記の3つのテーマ毎に別々の会場に集まってミーティングを行いました。

テーマ1 は、移住・定住「受け入れる作法」

テーマ2 は、次世代育成「子どもとともに地域をつくる

テーマ3 は、スモールビジネス「地域で暮らしの糧を得る」



これらのうち僕が参加したのは二番目の 次世代育成「子どもとともに地域をつくる」 というテーマのミーティングで、今回の記事にはその詳細と、話題提供者であったアルプス子ども会代表の綾崎幸生さんからのお話について書くつもりでした。

が、しかし



メモを走らせたノートとレジュメを見ながらサラサラと記事を書いている最中に、綾崎さんからの話に出た自閉症ワッペンについて記すところで、手が止まりました。


「ん?待てよ、いくらかいつまんで記事にするとはいえ、こんなにサラサラ、スラスラと書いていいのか?要約して羅列しただけでブログに書く意味があるのか?」

と思い、ミーティングに参加する前に拝見していたアルプス子ども会のホームページをもう一度ちゃんと隅々まで読み直し、綾崎さんがアルプス子ども会でやろうとしていることについてもっと深く受け止めることにしました。
(いま特にしっかり読んでいるのは、おたより紹介=アルプス子ども会参加者の声と、綾崎さんによる子育てコラムです。)

また、綾崎さんがミーティング前に提起して下さった数々の事柄(前述した自閉症ワッペン等)について、自身の知識不足を補う必要があるもの、曖昧な理解しかできていない部分があるものについては一度ちゃんと調べることにしました。
さらに(同じグループとなった方々には諸々のエピソードを話しましたが)僕が小学生のときに愛知県で開催されたへき地教育研究大会のために事前の数年間受けたかなり特殊な教育トレーニングと、アルプス子ども会の比較についても熟考したくなりました。
また、アルプス子ども会がしていることは、僕らが山里センチメンツと並行して取り組んでいるモラル・ハラスメント問題、虐待問題についてどう抑止しようかと考える上で、別の視点から見ることの大切さを含めて大変多くの気づきを与えてくださることがわかりました。
綾崎さんの口から何度も出た提言は、子どもたちがさらなる成長をするためのみならず、巷に蔓延するあらゆるいじめ、あらゆるハラスメント、あらゆる虐待の加害者と被害者を生み出さないために、大人も自らが考え、実践する上で必要なことばかりでした。

(ここにほんの一部を記しましょう。
・不都合な力に立ち向かう力の重要性
・同調圧力に負けず、空気は読みつつ別のことができる行動力の重要性
・利他的に動ける力の重要性
・責任回避思考から脱却することの重要性
・リテラシーの重要性
・支配欲、自己顕示欲を抑えた対等な関係づくりの重要性)



そんなこんなで、ミーティングのことを記事にするのにもう少しだけお時間をいただきたいです。
どうかご理解をお願いします。

記事が完成するまでの間、ミーティング中に綾崎さんから出された次の問いの答えを考えておいてくださいね。



『少数意見はなぜ尊重せねばならないのか?』

あなたは何と答えますか?






























  


Posted by hyakuyobako

2015年02月08日 00:29

次世代育成「子どもとともに地域をつくる」

カテゴリ:いなかとまちと








昨日、小原交流館にて開催された『いなかとまちのくるま座ミーティング』に参加しました。

午前は、民俗研究家の結城登美雄氏による「都市と農山村が支え合う社会」と題された基調講演が、午後はくるま座ミーティングと夕食を取りながらの意見交換会がありました。

結城氏はまず私たちに、岩手県の山形村、新潟県上越市の中ノ俣、青森県田舎館村に住む人々の暮らしぶりや周りの人々がそれら地域にどのように関わったかという話をして下さいました。
結城氏の語り口はとても穏やかでゆったりしていて、お話を聴いているとそれらの土地の味わい深い景色と人々が日々を楽しんで暮らす姿が心にじわっと浮かんでくるようでした。

地域とは何なのか?

昔学生さんから問われて以来ずっと考え続けてきたとおっしゃる結城氏は、とても真摯な生き方をされている方だなと感じました。




くるま座ミーティングは下記の三つのテーマごとに参加者が分かれました。
僕はテーマ2を選択したのでそれ以外のミーティングには参加できていませんが、後で教えていただいた情報を以下にかいつまんで記します。


テーマ1は、移住・定住「受け入れる作法」。
話題提供者はNPO法人奥矢作森林塾理事長 大島光利氏、コーディネーターは名古屋大学大学院環境学研究科教授の高野雅夫氏が務められ、串原、上矢作での空き家の活用/移住・定住促進の事例と実績が紹介されたそうです。
大島氏は、移住者はこれまで近隣の会社務めをするケースが多かったが今後は山林資源の利用を仕事にできる人をもっともっと増やしていきたい、東海豪雨被害を教訓に水質保全と山村再生に力を尽くしたい、と語られていました。


テーマ3は、スモールビジネス「地域で暮らしの糧を得る」と題してアドバイザーに民俗研究家の結城登美雄氏、コーディネーターは株式会社M-easy代表取締役の戸田友介氏が務められました。
お二人は、

定住促進であれスモールビジネスであれ、まずは人と人がしっかり向かいあってよく話をすることをすべきで、それを疎かにしては良い結果は得られない、
山里では人と人の関わり合いをつくることが糧を産む、身近にあるものから糧を生み出すこと、資源を見つけることが大切だ、

とおっしゃっていました。


僕が参加したテーマ2は、次世代育成「子どもとともに地域をつくる」で、話題提供者はアルプス子ども会代表の綾崎幸生氏、コーディネーターはとよた都市農山村交流ネットワーク代表の山本薫久氏が務められました。
ディスカッションでは、

子育てに山里を活用して子どもも大人も心のふるさとづくりをしよう、
子ども同士で学ぶ機会をつくることに大人は力を注ごう、
子育ての仲間作りが大事である、
まずは家庭を民主的にしよう、

といった話が出ました。
アルプス子ども会の綾崎氏からのお話は、次回の記事に書きますね。
お楽しみに。















































  


Posted by hyakuyobako

2015年02月07日 07:36

いなかとまちのくるま座ミーティング

カテゴリ:いなかとまちと





昨日、豊田市の小原交流館にて開催さされた「いなかとまちのくるま座ミーティング」に参加しました。
詳しくは次回の記事に書きますね。


















  


Posted by hyakuyobako

2015年02月05日 11:41

生きることとしての学び

カテゴリ:いなかとまちと



今週金曜日に小原交流館で開催される、いなかとまちのくるま座ミーティングに参加しようとエントリーしていましたが、受付ました、というメールが届き、安堵しました。^_^
定員がありまして、抽選で漏れるケースもあり得たようなので。
(ミーティングについては後日このブログで報告いたします。)


さてこの本について。
ミーティングにコーディネーターとして参加される、M-easyの戸田さんからお借りした本です。
著者は東京大学大学院教授の牧野篤氏。

後半はM-easyが豊田市旭地区にいかにして溶けこんでいったかということが詳しくわかる内容で、あっと言う間に読めたのですが、前半はかなり難解でなかなか読み進めることができませんでした。
1行の意味を理解するのにさえ、何分もかかったからです。
取り上げられている人物は、マルセル・モース、クロード・レヴィ=ストロース、さらにはフーコーにハイデガー、レヴィナス、ホッブズ、パットナム、スピノザなどなど・・・僕の苦労が分かっていただけるでしょうか?


しかし昨夜ようやく何とか読み終えることができました!
少し頭が良くなった気分です!







































  
タグ :牧野篤M-easy


Posted by hyakuyobako

2015年02月05日 00:25

人は変われる 「大人のこころ」のターニングポイント

カテゴリ:生涯発達心理学



これはいま読んでいる本。

東京都内で精神科クリニックを営む高橋和巳氏が、人は青年期を過ぎてからでも成長できるか、ということについて、これまでに医師として接した人々の事例や、心理学者のアブラハム・マズローの研究などを引き合いにしてとてもわかりやすく書いていらっしゃいます。




























  

Posted by hyakuyobako