2015年10月22日 09:52

鈴木桂子さん×浅井智子さん トークセッション in 多治見

鈴木桂子さん×浅井智子さん トークセッション in 多治見 人生を楽しむ達人♩スーパーママのぶっちゃけトーク 〜お母さんを楽しむヒントありマス。〜
についての記事を連載してきましたが、今回の記事が一区切りとなります。








スタート直後。

浅井さんはマイクを握り始めて数十秒後に

「今日の結論を言います!」

とおっしゃいました。


Σ(・□・;)




浅井智子さんが何を語ったか、それはここでは書かないことにします。
書いても良いけれど、書かない。( ´ ▽ ` )ノ

連載告知記事で、ハグしてる写真を載せましたがなぜハグしてるかも、やっぱり書かないことにしました。



知りたい人が知ってる人に聞いて、そこから話に花が咲く。

わんさか、わんさか、花が咲く。

それで良いのだ、と思ったので。( ´ ▽ ` )ノ








さて。

智子さんと桂子さんに共通点は多々あると思うけれど、

・抱いた疑問を疑問のまま大事にして誤魔化さなかった。



・そして、その疑問の根源をどうにかするため自ら立ち上がり、疑問を抱く仲間をどんどん増やしていくようにした。



こうした姿勢が、お二人の様々な活動の始まりにおける最大の共通点であることは間違いない。



これまでの日本の男性が苦手とすることだな、と思った。

同じ釜の飯を食った仲、つまり仕事でともに汗した仲間でなければなかなかつながれない男性が、僕ら、及び僕らより上の世代にはたいへん多い。

仕事以外の趣味や活動に没頭していると、たとえ仕事を疎かにしていなくても、良い評価が与えられにくいことさえある。

皆で仕事に向くため協調、同調することが常に求められ、その結果、天に向かってそびえるビルや、海で隔てられた島と島を結ぶ長い長い橋や、魚もびっくりの海底トンネルが見事に作られる。
(そしてときには、明らかに間違ったことを、会社の指示だから、としてしまう。)



仕事を辞めて、同じ釜の飯を食べなくなり、男性は、はじめて気づく。
仕事でしか、繋がっていなかったのだと。

そして家族の方を、自分が暮らす地域の方をようやく向く。

しかし。

ここから先は書くまでもない。





僕は自分でまったく予想しなかった数々の出来事から、それまで走っていたレールから車輪を外して、飛び降りた。
(僕は欧州で作られた人工心肺装置を売る仕事をしていた。
東日本を飛んで回り、クォーター毎に割り振られる厳しい数字をこなそうとする日々だった。
根拠なき自信しか持ち得なかった僕は、人より上に立ち優越感を得たいという感覚が希薄だったから、またやりたくないことはしない、というスタンスだったから頻繁にピンチに陥ったが、よくわからない運に恵まれて、長らく勤められた。)

レールは地上からかけ離れたかなり高いところにあったから、レールの周りに広がる柔らかな草原に酒樽のようにゴロゴロ転げ落ちる感覚ではなくて、

え〜と、

恵那峡の橋から数百メートル下を流れる川に真っ逆さまにドボ〜ンと落ちる恐怖を伴う感覚だった。

*当時の僕が感じた正直な印象であり、いまは上から下にという感覚は無い。






まったく違う世界へ。

仕事の肩書きなどあまり意味をなさない世界へ。

でもそれは、知らない世界ではなかった。

慣れ親しんだ世界に、懐かしい世界に、本当の世界に戻ってきただけだった。












頭が変形するかと思うほどの力で毎日頭を殴られた。

直立不動で立たされて、長時間、寒気がするほどの冷たい視線で足元から頭の先まで見つめられた。

酷い教師に、小さな小さなクラスが不当に支配され続けた小学校時代のある年は、毎日が本当に地獄だった。



春の写生大会では、遠くに見えるの山々を描いた。
鉛筆の下書きに絵の具で色をつけて下手くそな僕の絵は完成した。

教師はそれを奪い、違うんだ、これじゃダメだ、とか怒りながら、近くにあった水飲み場の水道水の蛇口を思いっきり捻り、画板から剥がした画用紙を晒した。

のっていた絵の具はみるみる落ちていく。
真っ白になったところで、教師は筆をとって黒の絵の具を先につけ、画用紙の上をどんどん走らせた。

濡れた画用紙の上に、水墨画のような新たな絵が描かれていった。



たぶん僕の心はその時折れたはずだ。

お前などいなくて良い、というメッセージを受け取らざるを得なかったから。

しかし憶えているのは、近くにいたまだ大学を出たばかりの若い女性の先生が僕に駆け寄り、水墨画を描いた教師に何かを言ったことだけ。

きっちり1年間、心を折られ続けたのにも関わらず、その後長らくそんな出来事が無かったかのように忘れて、根拠なき自信に支えられ、自己肯定感のかたまりのような人格で生きられたのはなぜだろうか?と、最近よく考える。
いじめ、虐待、モラル・ハラスメントを山里センチメンツで研究するようになってからは特に。



Jターンしてから、とよた森林学校との出会いをきっかけに、僕のなかで何かが変わっていった。
同時に、モラル・ハラスメント研究の師匠である熊本市のNPO こころのサポートセンター・ウィズの代表の方とのふれあいから、理知的かつあたたかいママさんたちの存在を知った。





その答えは、今年の2月ぐらいから、パラパラ、パラパラ、降ってきた。

パズルのいくつかのピースは、豊田市の小原交流館で開かれたくるま座ミーティングでアルプス子ども会の綾崎さんのお話を聴いたり、次世代育成をテーマにしたグループミーティングに参加したことで数枚得た。






その後、くるま座ミーティングをコーディネートされた方々の中のお一人が僕のブログを読んでくださって、おいでん・さんそんセンターの次世代育成部会のメンバーにスカウトしてくださった。
(呼ばれて初めて事務所に伺った日、彼女と4時間以上話したのが懐かしい。( ´ ▽ ` )ノ)







僕は月に一回、プレーパークや森のようちえんなどに携わっているママさんや、セカンドスクールに長年携わりつつ地域にバラバラに広がる様々な次世代育成活動をゆるやかに繋いで相互作用が起きやすいようにしている方々のお話を聴くようになった。







降ってくる、降ってくる。

パズルのピースは、お笑い番組のオチに天井からドサドサ降ってくる発泡スチロールの粉のように、僕に向かって降ってくる。

夏には再びアルプス子ども会のお話を聴き、この秋には敷島会館で開催された鈴木桂子さんが講師を務めた山里子育て耕縁会、多治見で開かれた浅井友さんと鈴木桂子さんのトークセッションに参加した。
(まだまだビギナーなのだ。)






僕はもう、完全に埋まった。
パズルのピースの山の中に埋まってしまった。

嬉しい悲鳴をあげて、僕はそこを泳いでいる。
ピースの中をバタフライで、クロールで、背泳ぎで、ときにはシンクロナイズドスイミングをしたりして、泳いでいる。



どのピースを使おうが、僕の自由。
どれだけ使おうが、僕の自由。

完成見本は、ない。
どんなパズルを作っても良いのだ。



ときには自らパズルの一個を作るかもしれない。







どうぞ、どうぞ、使って良いよ〜。

気前が良い僕。( ´ ▽ ` )ノ














*写真の手はうちの奥さん。
撮影したときのことを山里センチメンツのスピンオフプロジェクトである "山の茶寮"のブログに書いていました。
http://yamanosaryo.boo-log.com/e335302.html
多治見との縁はすでに始まっていた!
Σ(・□・;)
このとき既にピースを一枚、誰かから受け取っていたのかもね。
( ´ ▽ ` )ノ















































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Posted by hyakuyobako