2017年06月08日 10:51

リーディングガイドの佳代さんと話したこと





5月17日は、いとカフェさんにて【ひゃくようばこ読書会『ほんからまなぶこどものけんり』ベーシックリーディング】を開催しました。




午後の部は3名の方が参加されましたが午前の部はいらっしゃらなかったので、リーディングガイドの鈴木 佳代さんと二人でゆっくり話をしましたよ。




様々な話題になりましたが、僕らがいちばん時間を割いたのは戦争の話でしょうか。

特攻など、愛する人たちや国を守るためだとして自らが犠牲になり命を落とす行為について考えました。

特攻を崇高で美しい行為だと感じる価値観はその人の人生のいつどのようなときに培われるのだろうかということや、そういう行為をしなくて済むようにするにはどうしたら良いか、ということについて考えました。

誰かを救うために命を投げ出す行為を美化するのは間違いだ、と僕は思います。

それを美しいと感じてしまう心には、自分以外の誰かの命が何かのために奪われることも許されるのだ、という危うい感覚が潜むからです。
(自分に厳しいということは潜在的に人にも厳しさを要求することになりがちだからです。)

この場合、犠牲になる人の人権は小さな人権のような扱いとなり、救われる人の人権は大きな人権となります。
人権に小さいも大きいもないのに、こうした悲しい現実がわたしたちの世界にはありますが、悲しまないために間違いなく必要なのが、人権感覚なのです。






また、僕は佳代さんや午後の参加者のみなさんに、僕が思う人権のイメージを伝えました。

僕のイメージはたくさんの扉が開けられる鍵です。

形も大きさも厚みも違う様々な扉。
扉の向こうには大切な物が入っているのに、それぞれの扉を開けられる鍵が見当たりません。

この鍵は違う。
この鍵も違う。
この鍵でも開かない。
この扉も、あの扉も、開かない。

そんなときに。
小さいけれど眩しく光り輝く鍵を見つけます。

そのたった一本の光り輝く鍵は、たくさんの扉を見事に開け放つのです。





人権=human rights は人が尊厳を保つための力です。
すべての人は対等で、すべての人には尊厳があります。
すべての人は安心して、自信を持って、自由に生きて良い存在なのです。





偉そうなことは言えません。
僕がそのことを真に理解したのは40も半ばを超えてからでした。
だから僕より若いみなさんは、今から学んでもまったく遅くはないのです。





佳代さんは言いました。

「安心と自信と自由が奪われると、人は元気を無くします。安心と自信と自由が守られたなら人は元気を取り戻します。」と。

「他人から大切にされずに生きてきた人の中には、自分が暴力を受けているか否かすらわからない人がいます。」と。

「自由とは、選択ができることであり、結果に責任を持つことができることです。」と。

こうもおっしゃいました。

「私たちは子どもの頃から自分の感情の扱い方を学ばせてもらってこなかったのです。」と。






さて、ひゃくようばこ読書会ベーシックリーディングは佳代さんが毎回同じレジュメにそって話をしてくださるのですが、参加者同士の対話から得られる学びは毎回驚くほど違います。

この日はこの日で、まるであらかじめ誰かに選ばれた人たちが集まったかのような、僕からすれば驚くべき符号の一致がありました。
最初はよくわかりませんでしたが、それを覆い隠していた幾層ものベールが佳代さんから言葉が放たれるたびに次々と開けられていきました。
最後の一枚が宙に舞ってふわりと落ちたとき、集まるべくして集まったのかも、という思いがしました。

そのことは詳しく書きません。
しかし今後、さらに本を読むこと自体に重きを置く読書会にステップアップしていくことで、参加者はベールを開いて既知の知を思い返す旅だけでなく、未知の知を手に入れる歓びに溢れた未来への旅に出発できるのではないか、と思いました。















































































Posted by hyakuyobako