2019年04月14日
ドキュメンタリー映画『道草』
神奈川県相模原市のやまゆり園で起こったこと。
僕はあのとき思いました。
大人たちは子たちに何と話すのか?
僕は子たちに何を伝えられるのか?
しかしうまく言葉にすることは難しく、心は怒りと悲しみに牛耳られて、うまくアウトプットできませんでした。
。。。
違うアングルから捉える必要がある。
違うアプローチがいる。
ずっとそう思っていました。
宍戸監督の新作ドキュメンタリー映画『道草』のHPにはこんな風に書かれています。
《暮らしの場所を限られてきた人たちがいる。
自閉症と重度の知的障害があり、
自傷・他害といった行動障害がある人。
世間との間に線を引かれ、囲いの内へと隔てられた。
そんな世界の閉塞を、軽やかなステップが突き破る。
東京の街角で、
介護者付きのひとり暮らしを送る人たち。
タンポポの綿毛をとばし ブランコに揺られ、
季節を闊歩する。
介護者とのせめぎ合いはユーモラスで、
時にシリアスだ。
叫び、振り下ろされる拳に伝え難い思いがにじむ。
関わることはしんどい。
けど、関わらなくなることで私たちは縮む。
だから人はまた、人に近づいていく。》
映画「道草」公式サイト https://michikusa-movie.com/
続いて、昨年12月に豊田市福祉センターにて自立生活センター十彩が主催された福祉関係者向け試写会にて『道草』を観た僕が、上映後に登壇された監督たちのお話をメモしたものも、お読みいただきたいです。
《宍戸監督:「『風は生きよという』の自主上映会をした人との出会いが、映画を撮るきっかけに。
その人は、自分の息子さんが重い障害を持ちながらも支援を得ることで自立して暮らしていることを人々に話してもなかなか信じてもらえないので、私に短い映像を作って欲しいと頼んできた。
その短い映像をいろんな人が見て、『これをもっとたくさんの人たちに見てほしい。』という声が広がった。」
「その頃は、重度な障害がある人たちの入所施設に長期間住み込んで取材していた。
ある入所者さんとの出会いから、家にも施設にもいられない、行き場所がない人たちはいったいどうするのか?と考えた。
そんな疑問を抱えていたときに、短い映像を撮ってほしいという話があった。」
「悲しいやまゆり事件では、犯人は『意思疎通できない人は殺す』と言った。
意思疎通ができないって、本当にそうなのか?」
司会のまこさん:「映画を観て、想いがあるってことが伝わってきた。」
登壇された知的障害当事者の植松さん:「支援員さんとの信頼関係が大切。長く付き合うこと。長く話すこと。忘れ物、困ったときにサポートしてもらえた経験がたくさんあれば安心できる。」
まこさんからの「パニックになるときは? 」の質問に植松さんは「伝えられないとき、時間が足りないときに。」
そして「待っててくれるときが嬉しい。服とか買えるから。」
まこさん:「時間が大事ですね。」
植松さん:「それに、地域で暮らしているから、僕のことをみんな知っている。」
同じく登壇された岡崎自立生活センターぴあはうすの当事者支援員の高橋さんは
「知的障害の人たちをテーマとして描いた映画はあまりない。」
(この映画のようなやりとりは)東京だからできる?人がいるからできる?いろんなセンターが関われば?」
「(映画の中で聴かれた)奇声を、福祉に関心がない人が笑えるか?慣れてもらえるように、地域づくりをしたい。誰もが買い物できる、自分で選べる、ということが大切。」
監督:「やまゆり事件から一年経ったある集会で、精神障害、知的障害の人たちも公費で支援員が雇えるように2014年からなっていることを知らない人たちがまだまだ多いことを知るきっかけを得た。」
植松さん:「やまゆり事件の後は怖かった。しかし地域に出ないとと思った。地域の人たちから、安心して買い物においで、と言われた。やまゆりにいた人も生きていたらしあわせがあったはずと思うと悲しい。」
高橋さん:「ホームレスみたいな人に、『税金で生きてんだろ?』と罵られたことがあった。
電車に乗っていても、この中にそういう考えの人がいるのでは?と考えずにいられず怖かった。報道が社会を誘導してしまう怖さも感じた。」
まこさん:「やまゆり事件の後は外に出るのが、電車に乗るのが、怖かった。
車椅子体験会にて学校に行くと、子たちが私のことを、明るい、とか、かわいい、とかいってくれる。ふつうに車椅子に乗った友達が暮らしの中で毎日いたら、身近に障害がある子がいたら、社会は変わる。」
植松さん:「監督は子どものころは?周りにいましたか?」
監督:「障害がある人との出会いは少なかった。設点は少なかった。」
まこさん:「分けられた教育をなんとかしなきゃね。」
監督:「障害種別による魅力もあることに気づいた。笑」
映画を観たママさんから
「自立とは?支援員以外の人たちとのふれあいが描かれている映画を撮ってほしい。うちの子も重度の障害がある。I.Qが低いのは悪いこと?スティグマに悩まされている。」
監督:「自己選択、自己決定、自己責任。身体に障害の人たちが受容できるこれらも、知的、精神に障害がある人たちは意思決定できないから、自分で決める楽しさを味わうには、周りの人達の助けがいる。」
「支援員以外の人たちとのふれあいシーンは撮りたいが、なかなか撮れなかった。」
「『一緒に責任とる』と言った支援員が印象的だった。自立支援センターの自立と、精神、知的障害の人たちの自立は少し違う。自立してるけど孤立になりがち。だから食事会などの工夫をしている。」
「成長と療育について。りょうすけくんのママはりょうすけくんをなかなか受け入れられなかった。ある人から、彼は成長しないわけじゃない。成長角度はゆるやかだが、成長すると言われ、腑に落ちたと。」
植松さん:「ネチネチ、ミチミチ、付き合っていくしかないかな。」(会場爆笑)》
こんな風でした。
いかがですか?
僕は子たちにも観てほしいと思います。
小学生なら観られると思います。
大人になる前に、今のうちに観てほしいと思います。
心がやわらかいうちに、観てほしいと思います。
学校を休んででも、観てほしいと思います。
大人は。
民主主義だとか人権だとか尊厳だとかを議論するのに、議論の場がいつのまにか相手を屈服させ自分を認めさせるために中傷しあう場になり、それがどんどん拡大してどうしようもない負のスパイラルを巻き起こし、みんながみんな、ただただ時間を無駄にしてしまうことが、SNSの世界ではままあります。
そんな時間はもったいないです。
人生の時間は限られているから。
だから、自分の脳の中の小部屋に篭ってグルグル同じところを歩き回って考えるのをやめて、"自分の脳の外に"スタスタ、サバサバと出ていく必要があります。
映画のタイトルは『道草』。
散歩のシーンばかりで、思考の旅にはもううってつけ。
ちなみに、宍戸監督の前作『風は生きよという』の海老ちゃんはこの映画には出演していないが、全国自立生活センター協議会とともに特別協力という形で下支えされていますよ。
海老ちゃんによる示唆に富む『道草』レコメンドはこちら。ぜひご一読くださいな。
『「知らない」と無駄に怖い。
「知らない」から無駄に不安になる。
そんなこと、あるでしょ、いっぱい。
病気もそう。
人種もそう。
どんなものか、どんな人か、知ってしまえば、
「なんだ、そんなもんかw」と思えるのに。
障害者もそう。
どんな声のかけ方をすればいいのか、
どう関わったらいいか、
何をどう手伝ったらいいのか、
何を話題に会話したらいいのか…
全然分からないから、
とりあえず、見なかったことにする。
気づかなかったフリをする…。
そんなこと、日常的に多いと思います。
身体障害者は、そんな時、
「それはね、こうしてくれればいいんですよw」
って説明できるから、まだね、
ちょっと勇気を出せば、友達になれる。
でも、本人が、まったく説明してくれない場合はどうでしょう。
その人に関わっている支援者たちも、
「自分たちも分からないんですよね…困っているんですよね…」
と言ってる場合はどうでしょう。
見なかったフリ、続けますか?
もしくは、実際に「いなくして」しまいますか?
自分はああなりたくない、とか、
自分のところにはあんな子生まれてほしくない、と
強く願い続けますか?
それでは、不安や恐怖は永遠になくならない。
同じ街に暮らしている、
いろんな人を知ってほしい。
まずは知ろうとしてほしい。
分からなくてもいいから。
映画「風は生きよという」の監督、宍戸大裕の最新作、映画「道草」。
自分や他者を思わず攻撃してしまう「自傷他害」の強度行動障害や、
特定のモノや様式への強い「こだわり」がある
重度知的障害者の地域生活を描いたドキュメンタリー。
介助者をつけての一人暮らし。
ちょーマイペースで自由な彼らに振り回されながらも、
「一緒に」生活を創り出していく様子は、
「当事者主体」とは何なのか、を考えさせてくれます。
「本人の」主体性、だけではなく、
「支援者の」主体性についても。
めちゃおススメ!
ホントに!』
さあ、前置きはこれぐらいにして、本題に!笑
4/13(土)から名古屋シネマスコーレで『道草』の再上映が始まりました。
4/19(金)まで観られますよ。
毎日12:10~連日バリアフリー字幕付き上映です。
ぜひご覧ください。
*名古屋シネマスコーレ アクセス
http://www.cinemaskhole.co.jp/cinema/html/
*「道草」予告編
https://youtu.be/GNftI08FHxo
Posted by hyakuyobako at 02:16