2017年03月10日 13:54

ベーシックリーディング2 ひゃくようばこ読書会『ほんからまなぶこどものけんり』






昨日はひゃくようばこ読書会『ほんからまなぶこどものけんり』ベーシックリーディング2を開催しました。
4名が参加され、そこにリーディングガイドの鈴木佳代さんと僕が加わりました。

ベーシックリーディング1を経て次の段階ということで、初めての試みでした。
主催者なのにどうなることかとドキドキしましたが、いざ始まれば楽しくできましたし、中身もなかなか濃いものとなりました。

写真と、ポストイットに書かれたこと(今日みんなで話したことの一部)を書き出したものを以って、読書会の報告にかえさせていただきます。
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次回の読書会日程は未定です。
決まり次第お知らせします。
(また山の方でもやりたいと思っていますよ。)

今回ひゃくようばこに会場を快くお貸し下さり、美味しいランチと飲み物と読書会に集中できる雰囲気を整えて迎えて下さった、谷澤雄樹さんはじめ、Cafe Musu.B、ワークショップスペースDea.E、NPO法人まほうのらんぷ関係者のみなさん、ありがとうございました。




ポストイットメモ(リーディングガイドの鈴木佳代さんや参加したみなさんからのコメント)より〜

わたしたち日本人は感情の扱い方を学んでこなかった。

日常で「さっき何を考えていた?」と聞かれることはあるけれど「何を感じていた?」とはあまり聞かれない。
周りから問いかけはないし、自分も引き寄せてこなかった。

"感じる"と"考える"は違う。

感情は生理現象。
感情は良いも悪いもない。感情は、自分を助け、守るための生理現象。

例えば、身に迫る危険から逃れる工夫を促すために、不安という生理現象が現れる。

感情は自分の中から湧いてくるもの。
誰かのせいにしがちだけど。





自己肯定感は大事だが、育むのは難しい。
自己肯定感を高めることは、自分にはダメなところがあるとわかることでもある。
欠点は結点(けってん)でもある。できないから誰かと繋がれる。





『こどもは未熟だからまだ感じなくていい』というメッセージを大人が送ってしまっていることが多い。
おばあちゃんが入院したと知った孫がおばあちゃんを心配して「おばあちゃんは大丈夫?」と母親に。母親が「あなたはこどもだから心配しなくていい。」と伝えたらこどもは感じない子になろうとする。

辛いことがありお母さんが泣いている。「悲しいから泣いてるの?」とこどもが聴いたら「目から涙が出てるだけ」とか「目にゴミが入っただけ」。こどもは「あれ?おかあさんは悲しくなかったのかな?」と感覚が揺らぐ。





こどもは苦しいとき、大変なときに本来持っているその子特有の優位な感覚がさらに優位に、さらに敏感になる。視覚タイプ、聴覚タイプ、感覚タイプなど。
目と目があったら頭が真っ白になる子もいる。
反対に、安心できる環境下で優位な感覚を通じて様々なことができることもある。





発達障害と診断されて、発達障害と分かったことで楽になる人、楽にならない人がいる。
診断名を見てその子(その人)を見ようとしない専門家に憤りを感じる。
診断名が同じになったとしても、一人一人まったく違う。
診断名はあくまでも傾向を知るためのものなのに。

発達障害を英語で言うとDevelopmental disorder。
disorderは社会に合わない、オーケーでないという意味なのだから、社会が変わればオーケーになる。





人はすべての人に"役割期待"している。道ですれ違う人にすら役割を期待している。それは何もしてこない人、という役割であり、すれ違う見知らぬ人からは何もして欲しくないという気持ちからそういう役を割り振る。
しっかり割り振っているから「道を訪ねたいんですが」と寄ってこられたりと、予期せぬ役割をされると、不安や恐怖を感じることもある。
先生や親もこどもに『こども』という役割を期待してしまっており、その役割からの逸脱を許さないでいる。

『こどもはみんな同じように日々成長していかねばならない』という大人からの圧力が辛い、みな違うのに。先生は、すべてのこどもが「成長しているか」否かを大事にしているようだ。

先生はできない人(できないこども)の気持ちをわかってくれたらいい。学校に馴染み優等生だった人であっても、できない人、できないこどもの気持ちを理解してくれたらいい。

こども全員が成長していないのに成長したと先生に言われて疎外感を覚えた。うちの子はたぶん入っていないと。

学校の成績づけ、評価づけは親子にプレッシャー。先生の価値観の押しつけ。

国語のテスト問題が変。主人公の気持ちをかっこ内に書き込むときなど。
出題者の期待する答えを捜す空しさを感じる。

成績表を見せる日。
成績に価値があるかどうか、こどもは親の反応を見ている。
私はそんなのどうでもいい、という態度をしている。

伸びないところを伸ばそうとすると他もダメになることがある。





アドラーは叱らない、褒めない、と言っている。その子の感じ方に共感した言葉をかければいいと言っている。
「100点で良かったね。」は親の価値観の押しつけだし100点を取ることでしか愛情を貰えないと思ってしまう。
こどもがテストで100点をとりとても満足している様子ならば「満足できたんだね、良かったね」とこどもの感情に寄り添うかたちで声をかけると良い。
こういう声かけをすれば、100点ではなく満足に価値を置く子になる。
または悪い点をとり残念がっていたら「残念だったんだね。」と声をかければよい。





「まあ、いっか」という開き直り、あきらめも大切。
あきらめには2種類ある。
良いあきらめもある。
あきらかにきわめる、意味もある。今の状況を明らかにする意味もある。

例えば登山していて天候が悪くなり、登頂を取りやめる判断もあきらめである。
初志貫徹しようとして遭難することもある。取りやめて生きながらえることもある。

愛着障害がある人がいる。お母さん以外にも人がいると認知し始めたときに人見知りが始まるが、それまでのお母さんとの愛着度合いにより愛着を苦手とする人になることがあり、成長してから母親を拒否したりする。
その場合、母親も愛着障害だったりする。愛着障害は連鎖することがある。
しかし愛着障害は克服できる。取り戻せる。

リストカットするこどもからは様々なメッセージが発せられているし(見つけてほしいとか)、感覚の麻痺(感じない心)を取り戻そうとして行われる。





「なぜ学校に来ないの?来いよ。楽しいよ。一緒に遊ぼう。」と学校に行っている大勢から、学校に行っていない一人に。
大人は周りにいたけれどずっとやりとりを見ていなかったから状況がわからなかった。だから助けてと目でサインをしたが伝わらなかった。
だから苦しくなりその場を去った。

対等じゃなかった。
大人に助けてほしかった。

不登校は自分で良くないと思ってしまっているから、いざ他人から言われると、ほんの少しでも心が乱れて揺らぐし、話すのが得意でなく、なぜ学校に行きたくないのか大勢にうまく伝えられないから、その場を去ることでメッセージを伝えようとしたのかも。
しかしそれではわかりにくい。

それだけじゃないかも。
場所から距離を取ることで自分の心を守ったのかも。

言葉にできない不安。
また言われる、という不安。
助けてもらえない不安。
将来への不安。
「もう言わないで。」
「僕ってダメになる。」
劣等感。

言葉にするのが苦手。
しかし一日経ってから母親に気持ちを言えた。
一日後に言葉になった。
時間をかければ、自分以外の誰かに言えた。

周りにいる子でそのとき共感できても、声をあげられない場合がある。
大人が発見してあげること。

(こどもには休む権利がある。)




最近は、こどもを守るという言葉を使わなくなり、代わりにこどもの声を聴く、耳を傾けるという言葉を使うようになった。
(声を聴かせてくれる状況づくりが大切)

自立は孤立ではない。
助けを呼べること、頼れること。
それができるようになるまでは大人が発見して手助けしてあげることが必要。
それがこどもの最善の利益につながる。





〜写真は、ひゃくようばこ読書会『ほんからまなぶこどものけんり』ベーシックリーディング2の様子〜

*イベントページはこちら。
https://www.facebook.com/events/255225138260039/?ti=icl

















































































Posted by hyakuyobako